2003年5月4日(日)
シンポジウム要約(敬称省略)
村本:当NPO(FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク)は、1990年に設立された「女性ライフサイクル研究所」の社会活動部門を前身として、さまざまな支援活動の中で生まれた以下のような信念の基に設立されました。暴力やトラウマという被害は基本的信頼感や安心感を損ない、つながりと希望を失い、それがまた暴力を生みます。それに対処するためには「希望を持って同じ世界を共有する者として手をつないでいく、つながりを強化する、安心感やつながりを強化してコミュニティーをエンパワーしていく」ことが大切であると考えられます。
今回のテーマは、暴力や虐待をなくすために安心して暮らせるコミュニティー作りがなぜ大切なのか、どうやって作っていくか、被害が起こったときにどうやって助け合えるか、ということで、皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。
本日のシンポジストをご紹介します。
大平光代さん
ミリオンセラー『だからあなたも生きぬいて』の著者で、「傷ついた人を支えるのは家族・友人・コミュニティーである」という考えを持たれており、「傷ついた人が治療される以前にそれを支えるコミュニティーが必要である」と考えておられます。
多田千尋さん
おもちゃ美術館の仕掛け人です。おもちゃ美術館を老人ホームの中に作り、高齢者と子どものコミュニケーションを生み出す。おもちゃ、遊びを介在させてつながりを作る。心のケアやカウンセリングが受け入れられにくい日本で注目すべき存在でいらっしゃいます。
団士郎さん
家族療法家で、漫画家。そして立命館大学での同僚です。「専門家に任せるのではなく市民として私たち一人一人に何ができるか考えていかなければならない」という問題提起をしておられ、学校の先生を対象に講演などを行っておられます。
冨永良喜さん
トラウマを研究分野とされています。被害者支援のNPOや兵庫県の養護施設の児童を対象としたキャンプなどに取り組まれ、震災のときには臨床同作法を用いて活躍されました。体を介したつながりを行っておられます。今回のシンポジウムのコーディネーターもお願いしております。
冨永:今回のシンポジウムのルールとして、シンポジストは1人1回の5分を超えないこと。フロアからの意見は1人1分を超えないこととしましょう。では、最初に、それぞれの立場から「安心とつながり」について感じることを、それぞれ5分以内でお願いします。
団:色々な課題を抱えている人が誰かに支えてもらったり応援してもらったりというめぐり合わせは大切だと思っています。私は、学校の先生を対象として、元気になれるように働きかけをしていますが、学校の先生は担任として一年だけの関係を生徒及びその家族と築くため、安定した関係を築きにくい。そのような中でうまくやれないことを教師一人一人の責任にしてしまう傾向あります。そんな先生たちと一緒に「家族を理解する仕方」について考えていまして、そのなかで始点が広がってくることを願っています。
冨永:「家族を理解してもらう」ということと捉えられるのではないか。
多田:地域社会にスポットを当てて活動しています。TBSラジオで一緒になった、なだいなださんに「子どもはなぜ遊ばないといけないのだろうか」と質問したところ「子ども時代に一生懸命遊んでいないと大人になって一生懸命仕事できないから」と答えられました。子どもが豊かに遊ぶためには時間、空間、仲間の3つが必要であると日本女子大学の一番ヶ瀬教授が提言されていますが、今の子どもたちにはこれらがなくなってきてしまっているのではないでしょうか。
大平:被害者を支える人を増やしたいと思っています。被害者は一人で抱えずに声をあげてほしいとも思っています。シカゴでの非行防止プログラムを実施していたスタッフに「なぜそのようなことをするのか」と質問したら、「お互い様だから」と言われました。いつ自分が被害者となって支えられる立場になるかもしれないからということでした。日本人の多くは、自分が被害者に、あるいは被害者の家族になるとは思っていません。まずその現状を知って頂いて支援する必要があると思っています。
村本:多田さんの発言に関連してなのですが、私は、遊びも仕事も両方したいと思っています。このNPO活動は、楽しみとしてやっていきたいと思っています。
大平さんの発言に関連しては、これまでの支援活動の中で、自分も助けてもらえるのだという感覚を感じ取っています。色々なことで挫折しても仲間に助けてもらえるので、何かに取り組むときに怖いと思わずにできたという感じを持っています。
冨永:では、「支えられて支えて生きる」ということで進めましょう。
大平:いじめは積み重なりで大きな傷をつくります。シンポジストが現場で思っていることを是非、聞かせてほしいと思っています。
冨永:いじめのアンケート調査を活用して、加害者に対しては「いじめはいけないことである」事を、被害者に対しては「いじめを認識しよう」というメッセージを伝えています。
団:何かあるとき、被害に遭っているときには「助けて」とは言えないということを、私も経験しています。言えるようになるのは、ずっと後になってからのことでした。
大平:女性の性被害についても再び傷つく事が怖くてなかなか言うことができないですね。私の場合は、まず具体的に違う子の話をします。「安心していいんだよ」と被害者に伝え、理解してもらうためには工夫が必要です。どんなことができるのかということも、お話頂きたいのですが。
多田:カナダにおける子育て支援で「Nobody is Perfect」というのを知りました。親にも教師にも言えることだと思っています。教師は親とつながりを持つ事が大切なのではないでしょうか。
冨永:ここまでで2つの課題が挙げられました。1つ目は、「子どもをどう支援していくか」ということ、2つ目は「子どもを支援するシステムをどう作っていくか」だと思います。
村本:団さんのお話についてなのですが、「勇気を持って話せ」と言うのは違っていて、一人で抱えずに話してちゃんと受け止めてもらったならば良いのですが、そうでないならば、話さないという選択は、話すことで被害者にとってマイナスとなる反応を受けるよりも予後がいい。大切なのは、話そうと思った時に、その話を受け止めるだけの土壌が必要だということです。子どもが話そうかなと思ったときは、色々と試してくるので、それに気づいてキャッチする事が大切です。
団:いじめられた子とその両親、いじめた子とその両親で会議をしたことがあり、いじめられた子の母親だけが来られませんでした。いじめられた子のうちでは、会議で決まったことを父親が母親に伝えられたが、母親が納得いかないということで、結局、子どもを転校させてしまったということがありました。母親も被害者になっていたのです。善意の人の集まりであっても、良かれと思ってであっても、その思いが渦中の人には届かないこともあると体験しました。簡単に分かられたくない、という気持ちでしょうか。
村本:子どもは納得できても親の気持ちが傷ついたままだったということでしょうか。
大平:子どものいじめで、親の面子が傷つけられたと言って裁判を依頼してくるケースがあります。しかし、勝っても負けても子どもは回復する事ができないのです。なぜならば、子どもは裁判なんてしたくない、親に分かってほしいだけなんだと思っているからです。裁判をしてしまうと、加害者は「いじめていない」といい、学校は「ちゃんと対応した」といい、子どもをさらに傷つけることになるのです。子どもが裁判を起こしたいのでなければ引き受けないことにしています。私は、裁判を引き受けなくても、そういう子どもたち50人とメールをしているが、これ以上は無理があります。もっと子どもたちの気持ちを受け止める場を作る必要があるのではないでしょうか。
フロア:自分も子どものことで、団さんの話されたものと同じような会議に出た事があります。大人は子どもの立場に立っていないということを実感しました。また、PTAなどで関わっても、お母さんたちは「PTAでなんて、友達をつくらなくていい」というのです。お母さん達も繋がっていない状態です。
多田:当事者だけではなく第三者が関わることでクールに客観的に問題を扱う視点が生まれます。
例えば、たばこを吸って退学になった女子高校生の話ですが。彼女たちは、小さい頃に「おもちゃ美術館」のある老人ホームに、親に連れられて行っていた経験があったので、その老人ホームへ行こう思い立ったのです。そこですべてのおばあさんにマニキュアを塗るボランティアを依頼されました。一週間かけて全員に塗り終わりました。すると、おばあさんたちは女子高校生を見て、「髪の毛は白髪だし、顔色は悪いし、床に座り込んでいるし、身体が悪いのでは?」ととても心配していて、このことが女子高生の心に響いたのです。親でさえさじを投げている子たちの心に、自分たちのことを心配しているおばあさんたちの存在が大きかったのです。今の狭いコミュニケーション範囲ではなく、もっと広げるよう見直しをしましょう。
大平:同じく老人ホームのボランティアでのケースがあります。中高一貫教育を受けていた女の子で、中学二年生からいじめられ、いじめっ子にお金やものを渡すことでいじめがなくなったのです。(本当になくなったのではないですが)。高校一年生で万引き窃盗をして、保護観察処分となり、老人ホームのボランティアを始めました。しかし、そこであるおばあさんのお財布を取ってしまったのです。おばあさんは「そういうことをしてしまうのはあなたのせいではなくて、悪い大人ばかり見てきたからだね。これからは人を信じることを学んでね。待っているからまたきてね。」と言われ、この女の子は「自分でも必要としてくれる人がいる、必要とされるんだ」とボランティアを続け、やめるときに「必ず看護師になってホームに戻ってくるから」とおばあさんに約束して、現在看護学校で勉強しています。
私の母は、痴呆で話がかみ合わなくなっていましたが、美容師さんにきれいにお化粧してもらったら、それまで何の反応もなかったのに、とてもよく喋り始めたという経験もあります。
村本:ここまでのまとめとして、当事者同士で解決をはかる以外に、第三者が客観的に関わるシステムが必要だと思います。勧善懲悪だけではなく、徹底的に自分の立場になってくれる人も必要だろうし。もちろん、起きた事象に対する善悪は必要ですが。被害者のコミュニティの土壌に働きかけることも大切で、二つの次元が必要だと思います。
フロア:学校の先生が「一生懸命している」ということと一般市民が期待していることとのずれがあると思います。団さんの言われた家族へのアプローチというのはどのようにしていくのか、教えてください。
団:よその家族から入っていくと入りやすいです。そうすると、自分の考えは自分の体験をベースにしているのだと言うことにも気づきます。いろいろな家族に関心を持って、楽しんで知るようにすると、理解につながるのではないでしょうか。
多田:間接話法的なやり方を私はしています。「子育て相談室」では人が集まらないのに、「遊びの広場」だとお母さん方が子連れで集まってくる。手作りおもちゃの指導をしながら、その中でちゃんと「相談」が成立するということがあります。コミュニケーションがない中で問題が起きると感情論になってしまいますので、どんな看板で始めてもよいから、教師と家族のコミュニケーションをはかる事が大切だと思います。
冨永:震災のときも「カウンセリング」よりも「マッサージ」や「リラックス動作法」などの看板を掲げたほうがよかった体験があります。何かちがうものを仕掛ける事が効果的ですね。
村本:多田さんの意見に賛成です。直接の窓口も必要ですが、ストレートに話し合うことは、できない層のほうが多いです。遊びやおもちゃなど「何か」を介在させないとそこに働きかけられないということはありますそういう文化では、隠れたメッセージを読みとり、発する力が必要となります。そのメッセージは、日常生活の土壌の中で間接的に発せられています。
大平:何か問題が起きてから、さぁ話しなさいと言っても難しいですね。最近、幼稚園に行って子どもとのコミュニケーションを訴えています。環境問題も大切です。非行に走る子どもの多くが、エアコン、オーディオ機器、TVがある個室を自分のものとして持っています。個室がダメというのではなく、子どもの断絶を防ぎ、ひとつの部屋で団欒をすることが大切だと思います。
私は本の中で「しかってほしかった」と書き、マラソンの小出監督は「しかるよりほめて育てた」というが、どちらが正しいのかという質問が多いです。でもこれは場面が違うのです。その場面の違いさえ分からない方が増えている気がしています。「しかる」のは悪いことをしたとき。「ほめる」のは努力したけれども報われなかったときにいいところを認めてほめる。昔ならお祖父さん、お祖母さんが教えてくれていたことです。お祖父さんお祖母さんによる子育て支援も大切だと思います。
多田:人生の達人、先輩方の力はとても大切だと思います。高度経済期に活躍し、退職したエンジニアや技術者が、おもちゃドクターとして活躍してくれています。生活の5%でいいから子どものために使おうというシニア層がほしいと思います。
フロア:養護施設の長として子どもたちと関わっています。養護施設にいる子どもたちの45.1%が虐待を受けているという調査結果が出ている。職員は子ども達の示すいろいろな表現行動に付き合うが、その60%がバーンアウトしてしまうのが現状です。施設だけで抱え込んでしまうことのないように大学院生や教授陣が関わるキャンプを実施しました。子どもと関わる中で大切なのは、その家族なのです。家族も支えていくことが大切なので、6年前からファミリーソーシャルワークなどを実施しています。
冨永:加害者についての支援に関して活動されている方がいらっしゃるようですが。
フロア:加害者支援をしています。しかし、その前にまず、コミュニティが作られることが大切です。家族でも仕事でもない時間と空間が必要だと思います。たとえばボランティアなどで、「コミュニティを作る」ことをうまくやれる仕掛け人が必要となってきます。たとえば、団地の「草むしり」では人は集まらないが、「1000円でガーデニング」教室といえば多くの人が集まります。こういう工夫が大切になるのです。「場づくり」を意識的にしていきましょう。加害者支援については、DVの加害者支援を行っていて感じたことは、大人に対する支援は大変だということ。また、加害者の男性性と自分自身の男性性が重なって共感できてしまうために援助しにくいということを感じています。
フロア:「教師」や「親」とでてきて、フロアの頷きも見られるが、どれほど「教師」や「親」を知っているのでしょうか。
大平:200人いれば、200通りの人生があり、一つにはくくれないなかで頷いているのだと思います。フロア全員が統一した見解を持っている訳ではない中での頷きなのでしょう。シンポジストそれぞれの話を聞いて同意したり反対したりしてくれればいいと思っている。そのため、シンポジウムでは打ち合わせをしないことにもなりましたし。
村本:「今の若者」「教師」「親」と、ひとくくりにするときは批判や困った点探しをするときですね。でもそうじゃなくて、むしろ「面白いな」という関心を持つことがポイントなのではないでしょうか。いろんな人や子どもに、面白いと思ってエネルギーを注ぐことで力がわいてきて、変革が起こるのだと思う。
フロア:カタカナ語、専門用語の乱用に注意してほしいと思っています。「ほめる」や「しかる」もタテ社会という意味で同じなのではないでしょうか?上から下に伝えるという点では同じです。上下関係ではなくて対等になる必要があるのではないか。そういう意味で、自分が他人に何かしたら、それが自分の元に返ってくる「マル社会」を目指すことが大切だろうと思います。勇気を与えるのならば同じ立場でしなければならないと思います。
冨永:今の「しかる」「しかられる」という事に関してはどうでしょうか?
大平:人は、生まれてからしつけをされることで「社会人になる」。だから、親は友達になってはほしくないと思います。それと、カタカナ語、シックハウスといえば、それが原因でいじめにあい、学校から理解してもらえなかったことで、ひきこもってしまった子どもがいました。心が傷ついているときに一番苦しいのだということは理解してほしいと思います。
団:へたな怒り方だけは覚えています。高校時代、授業を受けていて名前も知っているはずの教師に「おいこら、お前」と怒られましたが、名前さえ呼べない、こちらに興味や関心を持たない人に言われたくないという気持ちがあったのを覚えています。まず、関心を持つことが大切だと思います。
冨永:キャンプのエピソードですが、キャンプトレーナーに対して「あっちいって、もう参加したくない」という子どもに、トレーナーは「気になるから、部屋の隅にいるし、何かあったら呼んでね」と答えたのです。この距離感が大切だと思うのです。
フロア:保健婦として地域に関わっています。専門家にできることは限られています。近所や学校の支援が大きな役割を果たしています。専門家は支援の輪を広げるために活動するべきではないでしょうか。また、連携のために行政と市民の信頼関係を築くことも大切ではないでしょうか。
冨永:DVのあった家庭で兄弟げんかが絶えないというケースがあるのですが、そんな時に、母親のほっとできる場を作ることも大切だなと思っています。今日は、そういったネットを広げることも狙いであろうと思っています。
フロア:弁護士として支援に関わっています。関わってきたDV被害者で、保健師の力で立ち上がることができたケースがあります。乳幼児健診がきっかけで、家庭訪問があり、夫からの暴力に気付き、関係機関につなぐことができたというものです。こういう力をNPOで取り上げてほしいです。また、まだまだ女性に厳しい現状を考慮してコミュニティーを作っていってほしいと思っています。
冨永:では、今日のシンポジウムを締めくくるために、一言ずつお願いします。
団:人によっていろいろなキーワードを持ってシンポジウムをすることができたと思います。
多田:精神病院に「おもちゃ美術館」をつくると、誰が患者さんかわからなくなるのです。遊んでいる姿は、正直にその人が出ます。「心の病」をもっているなどという集団の枠にはめ込まれると、そこからずれることも、ほかの集団と交わることもできないという、日本社会の現状があることがわかります。そういった特定集団をやめて交わることが大切なのではないでしょうか。そして、人生の5%を人のために使おうとする気持ちを持ってほしいと思います。
大平:「お互い様」という気持ちを持ちたいと思います。最近の日本にはそういう気持ちが欠けてきているのではないでしょうか。自分には起こるはずがないということを前提にしてしまっているように思います。
村本:テーマどおり、「つながり」を強調したシンポジウムになったのではないでしょうか。暴力や虐待は、人のつながりを破壊します。身近なところ・人に関心を向けてほしいと思います。具体的な支援に関してはNPOのプログラムを紹介することで補っていきたいと思っております。
冨永:それではこれでシンポジウムを終わりたいと思います。
設立記念イベント「あなたとつくりたいサポートネットMAT」報告
昨年10月、NPOの認可待ちの頃、一人でも多くの人に私たちNPOの存在を知ってもらいたいと、理事会で設立記念イベントの企画が持ち上がりました。それから約6カ月後、イベント当日は連休にもかかわらず、多数の方にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。 御参加下さった皆様、ありがとうございました。
■シンポジウムに参加して
2003年5月4日にグランキューブ大阪10階会議室において、NPO法人「FLC安心とつながりのコミュニティーネットワーク」の設立を記念したシンポジウムが開催されました。ゴールデンウィーク中にも関わらず、200人に迫るたくさんの方々が参加され、笑いの多く、アットホームで楽しい、けれども活発で真剣な議論がなされました。以下に、そのシンポジウムの様子をご報告させていただきます。 今回のシンポジウムでは、「暴力や虐待をなくすために安心して暮らせるコミュニティー作りがなぜ大切なのか、それをどうやって作っていくか。被害が起こったときにどうやって助け合えるか」をテーマに、話し合いがなされました。
いじめられた子どもに対する支援については、団さんから「実際被害にあっているときには助けてとはいえない」という意見をうけ、大平さんからは「そういう人たちに安心していいと伝えて理解してもらうためにできることは何か」という問題提起がなされました。そして、村本さんから「話さないという選択は、話してさらに傷を負ってしまう場合よりもよい」という意見が出され、「話そうと思ったときに話が受け止められる、日常生活でメッセージに気づく土壌が大切なのではないか」という提案がなされました。 また、当事者同士だけではなく、第三者が客観的に関わったり、心に訴えかけたりすることのできるシステムや、被害者の側に立つ支援者が不可欠であるという意見が出されました。
また、教師と家族の関係についてフロアから質問が出され、団さんは「いろいろな家族を楽しんで知ろうとすること」、多田さんは「文化的に受け入れられやすい表現を使って、家族と教師とのコミュニケーションをとること」というお話をされました。
そして、「コミュニケーションのない中で、起こった問題を解決することの困難さ」を訴えた多田さんの意見を受けて、大平さんからは「幼少から悪いことをしたときには『叱り』、努力してもできなかったときは良いところを認めて『褒める』コミュニケーションをとっている事が必要だ」という意見が述べられました。
また、叱るときには関心を持って叱る事が必要であるという意見も出されました。興味関心を持つことが変革を生むためのエネルギーを作り出すのではないかというお話もありました。さらに、フロアからは「家族では解決しきれない問題もある。家族ではなく、仕事でもない時間・空間・仲間を作る事が必要なのではないか、そのために上手い仕掛け方でボランティアを集めよう」という意見が挙がりました。
最後に多田さんから日本文化に特有の、特定集団の枠にはめ込むことをやめて交わることが大切なのではないか、そして、人生の5%を人のために使おうとする気持ちを持ってほしいと思うという意見が出され、大平さんは、自分にも被害は起こりうる、だから「お互い様だ」という気持ちを大切に支援活動をというお話をされました。そして、冨永さんは、みんなで安心してつながる、「支え支えられて生きる」というテーマで議論ができたとお話され、シンポジウムが締めくくられました。
このように、シンポジストのみならずフロアからも、現場における具体的な体験に基づいた様々な意見が出され、交わされる中で新しいネットワークとコミュニティーが広がっていく様子がみられたシンポジウムだったのではないかと思います。
参加者のうち、64名の方がアンケートにご協力くださいました。
64名中、「大変良かった」33名、「良かった」28名で、ほとんどの方にご満足いただくことができたようです。また、回答者のうち会員が9名でしたので、参加者全体のうち会員ではない方々にもたんさんご参加いただくことができました。
回答者のうち男性8名、女性46名、年代は40代を中心に10代の子どもから60代の方までおられ、このシンポジウムが男性、子ども、高齢者の方も共に同じ思いを共有できる場となったことを、とても嬉しく感じています。では、みなさんのご感想を少し紹介しましょう。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
■参加者の感想 アンケートから
○自分の事だけしか考えない人が多くなっている世の中、熱いトークが繰り広げられ感動しました。一人一人が心がければ色んなことが変わってくる。私も出来ることから始めていきたい。
○専門家や地域の方々とのつながりが、安心と安全となっていくことを実感しました。
○幅広い立場、視野からの意見が聞く事ができて、嬉しかったです。打ち合わせのない、ぶっつけ本番というところが良かったと思います。
○こういった活動は専門家がするものという思いもありましたが、「おばあさんの話」など聞いて、普通の人にできること、身近な人にしかできないことがあることもわかりました。シンポジストの方々の個性が豊かで楽しかったです。
○大学のコミュニティ心理学という授業で紹介され、参加しました。参加してみて、お互いが支えあうコミュニティの必要性、重要性を改めて感じました。「お互い様」の精神をもっと社会に広めるべく、自分ができることを見つけていこうと思います。とても有意義なシンポジウムだったと思います。大変勉強になりました。
シンポジスト 大平光代さん
■イベントに関わって/理事 西 順子
今回、イベントの実行委員長をつとめましたので、裏方として、主にイベントの準備に関わりました。今から振り返れば、準備や段取りで、反省すべき点が多々あり、その都度「失敗は今後の教訓に」と自分に言い聞かせていましたが、たくさんの方のご協力と応援によって無事に終えることができましたこと、改めて心から感謝いたします。イベントの準備を通して感じたことで、今何より心に残っていることは、「人とつながることの喜び」です。
まず、シンポジストとして大平光代さんにお越しいただくことができたのも、これも人とのつながり、ご縁があってのこと。ボランティアでシンポジストをつとめて下さった大平さんに改めて感謝いたします。村本とのご縁から東京から遥々とお越し下さった多田千尋さんにも感謝いたします。
イベントの準備で一番難しかったのが、広報です。これまでのつながりから関係機関にチラシやポスターを配布したり、新聞での広報に働きかけたりしましたが、一般の方々にはなかなか情報が伝わりにくいことを実感しました。結果的には、人と顔が見えるようなつながりで、御参加下さった方が参加者の多くをしめました。理事の方々、会員の皆さん、いつも仕事でお世話になっている方々が、自分が所属するコミュニティ(大学、仕事の仲間、ボランティア仲間など)の方々に声をかけてくださったことから、いろんな層の方に御参加いただくことができたと感じています。日ごろの何らかのつながりによって、参加者の皆さんにお越しいただくことができ、同じ時を過ごし、問題意識や気持ちを共有できたことに感謝の気持ちです。
また、13名の活動会員の皆さんが、イベントのボランティアとして関わってくれました。ボランティアのみなさんは、当日ゆっくりとシンポジストのお話を聞いていただくことはできませんでしたが、気持ちよくご協力くださり、ご尽力下さったことにも、人の暖かさを感じさせてもらい、感謝の気持ちです。イベントの成功は、ボランティアの皆さんの影のお力のおかげです。
参加者の中には、私たちの身内、近所のお友達なども混じっておりました。身近な方々も応援として参加下さったことに、まず、私たちが周りの人々によって支えられていることを改めて感じました。私の姪っ子(中1)は、学校の宿題の作文に、イベントに参加した感想を書いたそうです。子ども達も自分の未来へとつながる何かをつかんで帰ったのかなと思うと、とても嬉しい気持ちです。
こうしてイベントを通して、いろんな方々にお願いをしたり、お世話になるなかで、人とのつながりの暖かさと喜びを感じさせていただきました。 スコールの皆さん(写真下)にも、このイベントの最後にふさわしく、感動とパワーを頂きました。
設立イベントそのものが、一つの「安心とつながりのコミュニティづくり」となったことに、感謝いたします。また、今後もこの目に見えないつながりを大切にしながら、活動していけたらと思います。
(ニュースレター4号/2003年8月)