この夏、チェルノブイリを訪れた。ゾーンと呼ばれる30km圏内の立ち入り禁止区域に入るため、事前にパスポートで申請して、専門のガイドさんに案内してもらう必要がある。検問所にはツアーバスが数台止まっていて、お土産ショップもあった。ウクライナ政府が観光地化政策を採るようになったこともあり、年々観光客が増え、とくに今年は、アメリカのTVドラマ「チェルノブイリ」(日本でもスターチャンネルで見ることができる)の人気で急増し、6万3千人が訪れたという。
原発から4km、廃墟となったプリチャピの町を歩く。プリチャピは、チェルノブイリ原発の建設に合わせてつくられた5万人近い住民を抱える裕福な町だった。飛び込み台のある大きなプールやスタジアム、開園間近だった遊園地、ホテルやカフェもあった。レーニン大通りはポプラ並木になっているが、草ぼうぼうの感もある。人が住まなくなった街は物悲しい。
ゾーン内チェルノブイリ市に作られた国立ニガヨモギの星公園には、「記憶の道」があり、消えてしなった町の標識がずらりと並ぶ。白は一部住民が残っている村、黒は完全に消えた村。458の村が消えたのだそうだ。ゾーンには、百人足らずの自主帰還者(サマショール)がいて、そんなお宅を訪問した。1年前に戻ってきたというカップルが、よく手入れされた畑や家畜小屋を見せてくれた。自給自足しているのだ。自然と共存するその暮らしを誇りに思っている様子が伝わってきた。
人あってのコミュニティである。福島には完全に消えた町はなく、逆にたくさんの自主避難者がいる。30km圏内どころか20km圏内であっても避難解除されたにも関わらず戻らない人は自主避難者として補助が打ち切られる。本当は誰しも故郷に帰りたいはずだ。それでも帰る選択ができない人々に、避難の権利を保証して欲しいと思う。
(ニュースレター58号/2020年1月)