6月末、アメリカのコミュニティ心理学会に初めて参加した。まったく状況もわからないまま行ったのだが、長くコミュニティ心理学の授業で教えてきた名前の人々がいて、驚いた。コミュニティ心理学の立ち上がりの話は感動的である。いつも教えるのが大好きな部分だった。
アメリカにおいて、60年代、公民権運動、反戦運動、女性解放運動、消費者運動とともに、地域精神保健運動が高まり、1963年、J. F. ケネディが地域精神保健センター法を通す。それまで、一対一の精神分析モデルが主流だったため、これに対応できる支援者が足りず、コミュニティの貧困問題などに力を尽くしていた支援者が集まって、地域精神保健を担う人材の教育について議論しようと、1965年、「地域精神保健のための心理学者教育に関するボストン会議」を開いた。これがコミュニティ心理学の始まりである。コミュニティの抱える問題に対し、心理学がいかに貢献できるか、社会学、福祉学、医学、看護学の専門家も一緒になって、治療より予防、生態学的視座、正義と公正、社会変革など独自の視点が確認された。
この会議に参加して現在生きている最後の一人というJ. ケリーを招いて会話するというセッションがあった。90歳になるケリーを弟子たちが囲んだ。ボストン会議の様子も語られたが、相互に敬意をもって対話したというその雰囲気がその場にそのまま映し出されて、見ているだけで暖かい気持ちになった。日本でも、学会組織になる前のコミュニティ心理学・シンポジウム時代、皆で温泉地に泊まって大きな円座になって一晩中語り明かしていた時代の雰囲気が懐かしく思い出された。
コミュニティ感覚の提唱者S. サラソンの名前がついた受賞報告も、公正がなければ健康もないというコミュニティ心理学の初心を貫くものであり、理論と実践の受賞報告もプエルトリコの植民地化と社会変革に関するものだった。そして何より、800人も集まった参加者たちの多種多様なこと、おそらく白人の方が少数派だったのではないかと思う。911以降、ちょっとアメリカを敬遠していたところがあったが、アメリカは、トランプ時代をこんなふうに生きのびているんだと力づけられ、私たちも、安倍時代をしっかり生きのびなくてはと思った。
(ニュースレター57号/2019年7月)