船外機のハンドルを握ったタイ人船長の巧みな操縦で、ボートはエンジン音高く、我々の横をすり抜けてゆく。茶褐色のチャオプラヤ川に飛行機雲のように波がたつ。そのボートの前方座席には、川風に金髪をなびかせたサングラスの男が一人座っている。こんな風景は私に、アジアのあちこちがヨーロッパの植民地であった時代を連想させる。 川を行き来する観光用ボートは、二つに分けられる。ひとつは団体で大勢が乗っているもの、そしてもうひとつは、チャーターして一人、二人で乗っているものだ。日本人的習慣としては、何といっても団体乗船が似合っている。ところが今、実は自分達はあの西欧人と同様に貸し切りボートにガイドと一緒に乗っている。どうも先ほどからそわそわ落ち着かないのは、このせいらしい。 運河からの眺めはとても興味深いのだが、他人の家を裏口からのぞくのは多少気がひける。明けても暮れても観光客に、裏庭の運河を通過され続けるのは気の休まらないことだろう。でもあちこちに、あまり目にしたことのないものが次々あって、好奇心の種は尽きない。錆と白い粉をふいた不思議な機械の並んだところは製塩工場だそうだ。タイ僧の衣は黄色ばかりだと思っていたら、白い衣で炊事をしている僧侶が見えた。ジャンさんに聞くと、尼さんという。こんな風にトンブリ地区の運河は昔、バンコクが東洋のヴェニスと呼ばれていた名残を淀ませている。
(ニュースレター18号/2007年2月)