女性共同法律事務所・弁護士 宮地 光子
「女性法律事務所」を開設して早や2年近くになろうとしている。「女性」という文字を事務所名にとり入れたことの物珍しさが手伝ってか、同僚の弁護士達に久方ぶりにあったりすると、必ず聞かれるのが「依頼者は女性ばっかり?」という質問である。「9割方は女性よ」と答えると、男性の弁護士のなかには、「へー。ようやっているね」とあからさまに言葉に出して言う人と、表情にそのことが見て取れる人がいる。
そういう反応を示す弁護士の脳裏にあるのは「話が細かい、要領を得ない」「感情的になる」「よく気が変わる」などなどの女性依頼者に対する偏見かも知れない。しかし女性依頼者の話が、細かく要領を得ないとすれば、それは女たちの被害の特質にこそあると思う。
ある弁護士が担当していたキャンパス・ハラスメントの事件が、まわりまわって私のところにやってきた。事件は、女子学生が長期にわたってある教官から、セクハラを受けてきたという事案である。弁護士が、彼女に求めたことは、ひとつひとつのセクハラ行為について日時や態様を明らかにすること、そしてその時になぜ彼女が抵抗できなかったについて説明をすることであった。そしてさらには裁判の覚悟をすることであった。その弁護士の求めるものに応えきれないしんどさを感じて、彼女は私のところへやってきた。
私は、彼女に裁判の覚悟をすることは求めず、いまの段階で何ができるか、何をしたいかを考えてもらい、加害者に対して交渉で謝罪を求めていくことにした。しかし交渉は難航した。セクハラ行為に対する明確な抵抗の意思を示すことができずに来てしまったことが、被害をわかりにくくしていた。そのことに悩んだ彼女は、その教官の講義やゼミのあり方から解きおこして、教官に支配されてきた実態を明らかにしていく作業を、支援者の協力を得ながら始めた。それは大学の「日常」を通して、教官が学生をいかにマインドコントロールしたかを明らかにしていく作業であった。セクハラ行為に抵抗できない学生が、日々の教育のなかで、あらかじめつくりあげられていたという事実こそが、この事件の鍵であった。この作業の結果できあがった詳細な彼女の手記を読んで、私はこの事件を理解することができたと思った。
このように女たちに対する侵害の多くは、日常のマインドコントロールを通じて行われている。セクハラだけでなく、離婚事件・DV事件でもそうだ。だから傷ついた女たちにとっては、日常の細々とした出来事の積み重ねを語ることこそが重要である。しかし女たちが日々の細々とした出来事から語り始めれば、事件に関係のない「要領を得ない、細かな話」として受け取られ、弁護士は「どんなセクハラをされたのか」とか「どんな暴力を受けたのか」と依頼者につめよってしまう。そして「セクハラ」と「暴力」だけを取り出して、なぜ「抵抗できなかったのか」「なぜ逃げなかったの」とたたみかけてしまうのだ。
かくて弁護士が第2次被害を与えかねない関係が生じる。この被害を防ぐために、弁護士には、「被害の特質への理解」と「ゆとり」が、そして被害者には、その「日常」を文字で再現してくれる支援者が欲しいと、つくづく思う今日この頃である。
(ニュースレター第5号/2003年11月)