弁護士 石田 文三
私は今年51歳になったのですが、友人・知人の消息を聞くにつけ、「中年クライシス」という言葉を思い浮かべます。ある知人はヘッド・ハンティングで会社を移ったのですが、業績が上がらないので給料を5分の1に減らされたと青ざめ、また、ある知人は奥さんからDV夫だと言われて、離婚の裁判を起こされています。社内不倫が発覚し、退職、離婚という道を選んだ人もいます。
そんななかで、ちょっと面白いと思った消息もあります。その男は、外科医としてずっとガンの手術をしてきたのですが、それまで勤めていた病院をやめて、これからは「ピンピンコロリ」の医療をめざすと言っています。なんじゃそれは?と聞くと、生きている間はピンピンとして、寿命がくればコロリとくたばるという医療だそうで、これからはお金や地位よりも、健やかな「からだ」に関わっていきたいそうです。
かく言う私も、ちかごろは「楽なからだ」に興味をもっています。
もともと私は、司法試験に落第しつづけるなかで、ちょっと軽めの心身症にかかり、ヨガをはじめ、座禅、静座、断食などなど、あちこちの道場をまわったことがあって、けっこう「からだ」へのこだわりがありました。しかし弁護士になって、少年非行に関わり、「カウンセリング」とかの話を聞いて、いっぺんに関心が「こころ」に傾きました。
ユングや河合隼雄さんの本を読んだり、あるいは、村本さんや西澤哲さんに出会ったりしたのも、こうした流れのなかでした。これらの出会いはとても刺激的で、計り知れないほど大きな財産を得たのですが、数年前から、少し「こころ」から距離を置く感じになっています。
自分のこころの中の何か得たいのしれないもの(トラウマ)を、言語化したり、これを体内の固まりとイメージして溶かそうとしてみたり、あるいは内観してみたりなど、いろいろな方法を験してみて、それなりにすっきりするのですが、でもどうも何かもの足りない感じが残りました。むろん、私のは素人のナマ兵法で、それがいけなかったのでしょうが、私のなかの「こころ」への極端な傾斜がなくなってきたのです。それから野口三千三さんの「原初生命体としての人間」や野口晴哉さんの「整体入門」などを読んで、「からだ」を楽にすることに少しずつ親しみ始め、最近は、片山洋次郎さんという人の本にはまっています。
このように言うのは、決して、カウンセリングがむだだとか、「こころ」の問題はまやかしだとか、あるいは「トラウマ」幻想論だとかに与するわけではありません。そうではなく、「こころ」と「からだ」が相補いあう存在であることを、再確認したというふうなのです。
そんな私にとって、兵庫教育大学の冨永さんが養護施設の子どもたちに向けて開発されたプログラムは、とても興味深いものでした。詳しくは、『女性ライフサイクル研究』13号の冨永さんの論文を読んでもらいたいのですが、冨永さんは、子どもたちが抱えるトラウマに直接働きかけるのではなく、子どもたちの「からだ」を緩め、その潜在能力を高めることに重点を置かれています。とりあえず「からだ」に働きかけて力を高め、そのうえで「こころ」にも働きかけていくという冨永さんの道筋は、私には、よくわかる気がしました。
今後も、「安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク」に関わりながら、いろいろなことを勉強していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
(ニュースレター第6号/2004年2月)