女性ライフサイクル研究所 スタッフ・前村 よう子
春は別れと出会いの季節だ。非常勤講師としてではあるが高等学校や専門学校で教壇に立っているお陰で、毎年、この季節は送り出し、そして迎え入れる側に立つことができる。別れは確かに寂しいものではあるが、卒業は、教え子たちにとっては新しい環境への旅立ち、晴れ晴れした彼女や彼たちを見ていると、こちらまで幸せな気分になる。「あー、この仕事をやっていて良かったなぁ」と思う瞬間は(やんちゃで可愛い教え子たちのお陰で)他にもあれど、卒業式というものは、また格別なものである。
この春も、2つの学校で教え子たちを見送った。しかし、今年はいつもの春とほんの少し違ったものになった。私自身も送られる立場になったからだ。特に9年間、勤務させて頂いた学校では、他の教員との人間関係もでき、また非常勤講師間での交流も盛んだったこともあり(その中には、元・教え子も数人いた)、寂しさもひとしおである。
でも、いつまでも別れの寂しさに浸っている訳にもいかない。4月からは新しい学校での勤務が待っている。齢40にして受験し続けた幾つかの採用試験。その中で、私を選んでくださった2校。また新たな気持ちで、生徒たちと向き合っていきたいと思っている。
ところで、この春は私だけでなく、娘にとっても別れと出会いの春になった。十五の春である(偶然だが研究所スタッフの子どもたち5人が、時を同じくして十五の春を迎えた)。彼女の卒業式では、大いに泣かせてもらった。式場の舞台に並び「旅立ちの日に」という歌を泣きながら合唱している我が子やその友人達を見ているだけで、ポロポロ涙がこぼれてきた。
娘の中学校3年間、私はほとんど何もしてこなかった。毎朝のお弁当も「私が作った方が可愛らしいから」と彼女が自分で作っていたし、仕事で参観日に行くこともできなかった。運動会も音楽祭もしかり。特に娘が受験を控えたこの1年間は、自分自身の(研究所での)仕事と採用試験受験で、娘の受験どころではなかったのが正直なところだ。彼女が公立高校の受験を終えた日に、「お母さん、自分のことばっかりで頭がいっぱいやったから、あんまり(というかほとんど)関わってあげられへんかったね」と伝えると、「何言うてんねん、お母さんが忙しぃくらいで良かってんで。だってな、友達の話を聞いていたら、親に受験のことばっかり言われて、精神的にしんどいって言ってたもん。お父さんはちょっとうるさかったけど、お母さんにはあんまし言われへんかったから、かえって助かったわ」と返事が返ってきた。なるほど、もし私に余裕があったなら、もっと子どもの受験が気になっていたかもしれない。気になれば、口うるさくもなっただろう。模試の前日であろうと、受験の前日であろうと、いつも通りにヘラヘラ笑いながらTV番組を子どもと一緒に見ていたのも、私にとってそれが息抜きだったからだし。
さて、私も娘も、4月からはピカピカの1年生。期待と不安を抱えながら、同じ1年生としてのドキドキ感を共有できそうなのが、ほんの少し嬉しい春である。
(ニュースレター7号/2004年5月)