理事・石川 義之
私が、小・中・高校生活を送ったのは、敗戦の傷痕の残る貧しい時代であった。小・中校は1クラス60人、1学年9クラスという今では考えられないようなすし詰めのマンモス校であった。飢えが充満し、喰わんがための非行も多かった。しかし、当時の悪がきどもの「不良行為」は今振り返ると無邪気なものだった。
日本の高度成長とその後の成熟社会の到来は、青少年たちの生活と意識を一変したように思う。11歳の少女が同級生をカッターナイフで殺傷したり、12歳の少年が4歳の子どもを裸にしてビルから突き落としたりというような行為は、かっての「不良少年」の行為とは次元を異にしている。
思うに、日本社会の高度成長期以後の歴史は、アノミー(無規制状態)の進行の過程であった。アノミーとは、欲望や衝動の歯止めが失われている状態でもある。つまり、欲望・衝動に対するブレーキのはずれた状態である。内的抑止力の欠落と言ってもよい。このアノミー状態のもとでは人々は欲望や衝動を即座に行動化する。特に、自我の未発達な青少年においてその傾向は顕著となる。最近の子どもたちの犯す異様とも言える犯罪の背後には、この日本社会のアノミー現象が底在しているのだと思う。
かってフランスの社会学者エミル・デュルケームは、アノミー化の進行をくい止めるための手段として中間集団の規制力に望みを託した。中間集団とは、個人と国家との中間に位置する集団のことであり、具体的にはコミュニィティやアソシェーションを指している。今や古き良き時代のコミュニィティの復活が望めない状況のもと、アノミー状態の克服とそれに淵源する諸々の犯罪を防止する手だては、基底的にはアソシェーションの創出にかけるほかはないように思う。NPO法人などは現代的アソシェーションの典型である。このようなアソシェーションの創出とそこにおける地道な活動こそが、現代日本におけるアノミー状態とそれに起因する犯罪被害から日本社会を救出する上で、迂遠ではあるが不可避の基本的な道筋であると確信している。
(ニュースレター8号/2004年8月)