理事・津村薫(女性ライフサイクル研究所スタッフ)
この原稿を書いている3月・・・西武王国の体制崩壊?が大々的に報じられている。一代で堤家に繁栄をもたらし衆院議長にまで登りつめた絶対君主だった父親。彼に逆らって一時的にでも袂を分かった兄たちとは違い、従順な子どもとして父親に評価され、ワンマン後継者として君臨した堤義明氏の逮捕。けれどその報道からはワンマンすぎる強引な手法と共に、孤独な彼の横顔が浮かび上がってくる。
私の堤氏に対するイメージといえば、歴代の西部監督で成績不振だった人たちに対する、あの冷たい高飛車で無礼な態度だ。決して良い印象はなかった。解任に近い退陣を余儀なくされた監督に「残念だねえー」としらじらしく?声をかけ、優勝できなかった監督に「(来期も)おやりになりたければ、どうぞ」と報道陣の前で冷たく言い放つ経営者。監督たちの屈辱に歪む顔。不愉快極まりない彼の傲慢な態度は、若かった当時の私の記憶にも鮮明に焼きついた。連日の報道でも、義明氏よりもどう見ても年配とおぼしき大勢の部下たちが体をふたつに折り曲げるようにして最敬礼をする映像や写真がよく使われている。あれが西武の体制そのものだったのだろう。元旦の早朝には亡くなった元オーナーの墓参が義務づけられていたというのだから驚く。
彼が「自分は親のようなやりかたでは子どもを育てない」、「自分のような社長は今後は必要ない」などと父親の没後に発言していたということを、私は今回はじめて知った。部下はイエスマンに育てることから、友人は作らないこと、嫁のありかたまで徹底的に教え込んだ父親の遺訓を継いだがために起こってしまった時代錯誤の犯罪。複数名の自殺者まで出してしまった現実はあまりに重いけれど、独裁的な組織がもたらす悲劇を教訓に西武は生まれ変われるのだろうか。絶対的な権力は必ず崩壊するというが、独裁がもたらすものの結末を見せつけられたような思いだ。とはいえ今の私には、リーダーシップや力そのものが悪いという思いはない。
私は昔から協調性がなく、集団に違和感を持って大きくなったような気がする。皆が「こうしよう」と持ちかけても、どう考えてもそれはおかしいと思えば、絶対に動けない。「仲良しこよし」のよしみで筋を曲げるということもできなければ、「まあいいか」ということもできない子どもだった。「正義感が強い」、よくそう評された。今もそれは変わらないのかもしれない。組織に忠誠を誓わされたり、意に反することを押しつけられたら、私はそこにはいられないだろう。しかし後年、「小さな譲歩を厭わない」という一文を書物に見つけたときに、自分に欠けていたのはこれだったと痛感したものだ(笑)。
小さな譲歩を厭わず、譲れぬものについては誠実に話し合い、妥協点を見い出す。個人それぞれの才覚を尊重し認め合い、よき力を発揮できるよう励まし合う。そんな組織に恵まれて私は幸せなのだろうと思う。いつも先を見通している力があり、けれども私たちが体をふたつに折り曲げようものなら、怒るであろう(笑)、民主的なリーダーを得たことにも本当に感謝している。独裁がもたらすもの、「ノー」と言う選択肢がない世界の先には何が待っているだろう。誰をも幸せにしなかったありかたについて、十分に検証がなされ、何がどう間違っていたかが明確にされ、後の組織づくりに活かされんことを願う。
(ニュースレター11号/2005年5月)