理事・津村薫(女性ライフサイクル研究所)
読売新聞10月13日朝刊で面白い記事を見つけた。長野県で旅館を営む佐々木都さんが自らの終末の夢を記しているというものだ。「しんだら帖」。大学ノートの表紙には筆でこう書かれてあるという。自分の葬儀をこんなふうにやってほしい、という葬儀のアイデアを自由に綴っておられるそうだ。「隣近所にあわてて知らせないで。白布をとって顔をみられるのって好きじゃないもん」「ごく身内でお通夜をして、お線香よりお香がいいな」と終始明るい文面なのだとか。葬送曲、棺を覆う着物の希望も書き、骨つぼは普段、キャンデーを入れている蓋つきの焼き物を。記帳、香典はなしにして、など(財産など法的な問題には触れず、それは別に書き残しているそうだ)。
若くして旅館に嫁ぎ、若おかみ業の傍らボランティア活動にも取り組み、25年前からは自宅の一部を開放し、夫の暴力に悩む女性の駆け込み寺も始めていたという。バイタリティあふれる方なのだろう。それでも古希を過ぎたあたりから衰えが気になり出し、7年前に夫を看取ってからは特に、自らの死を考えるようになってきたのだという。駆け込み寺から発展した仲間たちに誕生会を開いてもらった嬉しさで眠れない夜、仲間たちに伝えたい思いをノートに綴り始めたのが「しんだら帖」の始まりだったという。ただ書き綴るだけでは、しきたりだけの葬儀になるだろうと、地元紙に投稿してアピールしたり、友人に話して薦めたりと周囲にアピールもしているとのことだが、それがまた楽しく、生きる張り合いになっているそうだ。
この記事で思い出したのは、作家・曽野綾子氏の母上の葬儀のことだった。娘夫婦が揃って著名な作家ともなれば、自分の葬儀には義理で来ざるを得ない人が増えるだろうと、それを何より嫌がっておられたという話を確かエッセイで読んだと思う。曽野氏は、ごくわずかな身内以外、本当に誰にも知らせない葬儀をとり行ったのだ。香典を出すのに、たいていの家計は打撃を受け、喪服の洗濯代もばかにならないと現実的なことにも触れておられたが、確かにそうだ。さりとて何もなければかえって参加者が気遣ってしまうので、お茶代を2千円ほど徴収したそうだ。おいしい料理を食べ、皆で母上の思い出話をして、しまいには親族のひとりが「ああ、楽しかった。またやってくださいね」と発言して大笑いになったというエピソードをなぜかよく覚えている。
私はなぜか昔から、誰がどのように亡くなり、どのように弔われたかということに関心があるのだが、このところ、新聞の死亡欄では「故人の意志で葬儀は行われない」とか「親族だけで葬儀は済ませた」などという言葉が珍しくなくなってきた。多くの人が「しんだら帖」ならぬ葬儀の希望を遺言としてきちんと周囲に伝えているということなのだろう。
遺言が大事にされるためには、生前の繋がりが大事なのだろうと思う。大事な人だからこそ、その思いを尊重して、心をこめて見送りたいという思いにもなってくるだろうから。私は上手に死ねるかな。それには、ちゃんと生きないとね。私が生きたように、死は訪れてくるのだろうから。
(ニュースレター13号/2005年11月)