理事エッセイ
理事・羽下大信
この4、5年ほど 、DV男性のための「暴力なしで暮らす」ためのワークショップの一角を手伝っている。主催はメンズサポートルーム。ファシリテイターを数人で交代しながら、12セッションを年2回程開く。当人の自主参加で、取材・研究・調査目的の参加はペケ。ワークは各ファシリテイターが工夫したものを用いる。目的とするところは、自分の心身の感覚を取り戻し、自分を締め上げている「男らしさ」に気づき、そこから相対的に自由になること。それによって、自分の中にあって、取り扱いが難しい、なにかモヤモヤ、ムカムカ、イライラするのに対処できるようになること。このプロセスは、どんな男性も無縁でない(そして、たぶん女性も)。そして、これができるようになった程度に応じて、その人は暴力なしで暮らせるようになる。
そんなことを描きながら、われわれは毎セッションを開く。何かを教える、ということはしない。これをやると、途端にウソっぽくなるから。そして、非難・批判されたり、評価されたりすることなく、安全・安心の中で、自分を語り、あるいはワークの中で自分を表現し、「自分は自分」という感覚を取り戻すこと。
この当たり前のことから、自分がどれだけ遠ざけられ、挙げ句に暴力という最悪の手段に頼り、それを繰り返し、自分にとって他には変えられない重要な人物をひどい目に遭わせていたか。それを見ることになる。
この事実の前に立つこと。そこからすべてが始まる。その時は、セッションの中で、思わぬ時に、思わぬ人にやって来る。
(ニュースレター14号/2006年2月)