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理事エッセイ
18.ある虐待裁判 /中村 正

中村 正(立命館大学)

ある地方裁判所の刑事法廷に通った。継父による二人の中学生の息子への虐待が契機となった傷害事件である。妻へのDVもあったようだがこの点は争点となっていない。現在、子どもたちは児童養護施設で暮らしている。母は生活を立て直す努力をしている。その継父は少年院に入っていた経験がある。覚醒剤の使用で服役していたこともある。裁判で彼は躾だと言い張り、動機において虐待を認めなかった。いきすぎた行為としての暴力は事実として認めたが、いうことをきかない子どもを矯正するためには必要な暴力であったと一貫して主張していた。要するに子どもが悪いというのだ。
 この家では、父特有の「ルール」が定められていた。たとえば、門限は午後4時(中学生に!)、うそをつかないなどである。母や前父の躾がきちんとしていなかったので、成績も悪いし、あいさつもできず、よくうそをつき、日常の生活の基本ができていなかったからというのである。団地のベランダから双眼鏡で、毎日、ウサギ跳びやマラソンをさせて言いつけどおりにやっているかを見ていたという。
 「うそをつかない」というのは大切なことである。しかし、成長の過程でまったくうそをつかずに生きていくということを約束させられる方が無理である。「うそをつかない」というルールはすぐに破られるし、殴られるのがこわくて「うそをついていないといううそ」をつきとおすはめになることも避けられない。どちらにしても虐待する理由をつくっているルールのようなものだ。ルールが守れなかったら「長時間立たせる」という罰もあったそうだ。耐えられるものではない。その罰も守れなかったら、また虐待が待っている。すべては矯正のためにである。ルールが守れないとはたきで殴ったという。そのはたきが激しい暴力で折れたそうだ。折れた箇所をつなぐため細い鉄の棒を入れた。それでまた殴ったという。鉄製の角棒も殴るために用いていたという。
 傷害の罪で起訴されたが、終始、争点となっていたのは虐待である。これは躾だったという虐待する親の勝手な言明と行動が裁かれていた。しかし、「虐待罪」という刑法の規定はない。虐待か否かが争点であるにもかかわらず、それが前面に出にくく、傷害として事実が構成されていく。「これは躾ではなく虐待である」という専門家証言を引き出した検察官であったが、しかしやはり勝てる法技術しか用いないことが歯がゆかった。継父の弁護人も伝統的な刑事弁護に終始していた。彼の不幸な履歴と躾のためのという親心を勘案すれば相当程度の情状酌量の余地があるという主張である。虐待する親への行動改善命令制度やその指導体制や方法論がないので、司法も伝統的な枠を超えることができない。

この裁判から学んだことは多い。一つは、虐待する親のもつ独特なコミュニケーションの特性、つまり、人を罠にはめていく様子である。それは、ダブルバインド的なコミュニケーション構造となっていること、つまり「マイルール(俺のルールあるいは俺の家のルール)」がそこで機能していることである。恣意的に作られ、虐待を正当化し、相手に非があるように仮構せしめるルールである。虐待者の視点でその家族の世界が支配され、それを妻や子どもも内面化させられていくのである。虐待するためのルールといってもいいだろう。
 二つは、司法が虐待をきちんと位置づけていない点である。虐待やDVは固有な背景を成しているだけで、そこでは傷害、暴行、殺人という刑事罰の論理が前景化するのみである。もちろんそれで間違ってはいないのだが、焦点となるべきは虐待やDVである。認知や行動の次元での修正を加えていきたい加害者たちである。残念ながら、虐待やDVに焦点をあわせた「類型別処遇」は刑務所でもなされていない(性犯罪者の更生プログラムが開始され、ある少年刑務所でそれにもかかわっているが、類似のプログラムが虐待やDVにも必要だと考えている)。また、刑事罰までには至らない虐待に対応する司法が関与する治療的プログラムもない。情状酌量を訴えるだけでは彼の不幸は救われない。行動修正を命じる広い意味での「治療的司法」がなければ、虐待やDVをなくすように積極的に機能する社会制度は構築できないということだ。
 三つは、その継父が虐待を否認する理由(それを正当化する理由)が社会にあふれていることである。彼は虐待のことを拘置所で熱心に勉強していたようだ。子どもの問題行動を修正するために暴力は必要悪であるという自分の主張を裏付ける言説を集めていた。それらがなんと世の中に数多くあることか。彼は育ちの過程において数多くの暴力を受けたが、それでもなんとか生きてきたし、逆に強くもなったという。自分がそうであったがゆえに、暴力をとおして強い人間、克己心のある男に息子たちを育てていきたかったようだ。連鎖する暴力であり、それをささえる社会の共犯関係といえるだろう。体罰を否認していない社会のなせるわざである。
 こうした教訓を与えてくれた公判だった。判決公判はまだだが、実刑はまぬがれないだろう。検察は求刑3年とした。相当な日数の未決勾留期間があるので、比較的早く出所することだろう。その間に、子どもたちは虐待された傷を癒し、妻はDVから立ち直り、母子として子どもたちと再同居を果たす作業を行って欲しい。その父が出所する頃には高校生年齢になる子どもたちがさらに力をつけることが期待される。被害者保護のためのついたてのむこうから、次男が肉声で父親から受けた暴力の怖さを証言した。「もう親父とは一緒に暮らしたくない」という凛とした証言が脳裏に焼き付いている。この裁判の救いでもある毅然とした声だった。

(ニュースレター18号/2007年2月)

 


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