窪田 容子
学生時代に自宅を離れた数年を除いて、30数年同じ家に住み続けてきた。この夏、引っ越しで、その家を離れることを決めた。最初に引っ越しを決めたときに一番寂しく思ったのは、生駒山が見られなくなるなぁということ。小さな丘の坂道を登りきった場所に立つ団地の4階に住んでいたため、南側の大きな窓からは生駒の山の連なりが綺麗に見渡せた。風の強い日や空気の澄み渡った日は、生駒山がくっきりと近くに見えたし、空気のよどんだ日や天気の良くない日には遠くかすんで見えた。雷が鳴る日の晩は、生駒の山に稲光が立ち登り、空が明るく照らされ、山が黒く映し出された。子どもの頃は、あまりにも綺麗な稲光を、部屋の電気を消して家族で鑑賞をしたこともあったなぁ。夏になると、山の連なりが切れるあたりに遠く小さくPLの花火が見えたし、あちこちの夏祭りの花火も家から見ることができた。他の場所からでも、生駒山を見ることができるけれど、この家の、この窓から見える、この風景はもう見ることができない・・・。
子どもの頃、ベランダに干してあるお日様のにおいのするお布団に顔をうずめたり、水遊びをしたり、朝顔の花を数えたり・・・そんな私が見ていた生駒山。家族と言い争ってベランダで頭を冷やしていたとき、なかなか寝付かない赤ん坊を抱っこしながら途方にくれていたとき・・・そんな私が見ていた生駒山。いや、そんな私を生駒山が見守ってくれていたのかもしれないなぁと思う。
新しい家も少し小高いところにある。初めて2階に上がったとき、なんと嬉しいことに山の連なりの一部が見えた。またこれからも私たち家族が見ることができ、そして見守ってもらえるような気がして、昔の人たちが、自然を崇拝し、信仰の対象とした気持ちが少し分かるような気がした。
これまではあまり意識していなかったが、最近は身近に何気なく存在している物や人とのつながりに、支えられていることを思う。団地の庭に植わっている季節の花々。春には沈丁花が香り、ソメイヨシノがみごとな桜並木を作り、八重桜が重たげにたくさんの花をつける。クチナシが香り、紫陽花が鮮やかな花を咲かせ、キンモクセイが秋の香りを運んでくる。見慣れた公園、クリスマス時のにぎやかなイルミネーション、会えば何気ない会話を交わす近所の人たち・・・。
身近な家族や友達、大切にしている物など、太いつながりのある人や物は生きていくことを支えてくれる。そして、一つ一つは小さくて、何気なく存在しているつながりもまた、暮らしていくことを支えてくれているのだと思う。おそらく、両方があってこそ、本当の安心につながるのだろう。何気なく支えてくれた人や物に感謝して、また新しい人や物との、小さくて大切なつながりを広げていきたいと思う。
(ニュースレター19号/2007年5月)