冨永 良喜
20万人以上が死亡・行方不明となったインド洋大津波から、もうすぐ3年になろう としている。阪神淡路大震災の時もそうだったが、直後はメディアも注目するが、新たな災害が事件が起きると、世間からすぐに忘れられていく。しかし、災害後の興奮状態 から抑うつ状態に移行するのは、2年後・3年後なのである。
このたび、インドネシア・アチェを再び訪れた。半年後、2年後、そして2年9ヶ月 後である。家族を亡くした教師を集めてのトラウマカウンセリングワークショップと、学校でのトラウマストレスマネジメント授業を行ってきた。 ある中学校は、親を亡くした生徒が80%以上であった。津波被害のもっとも厳しい 地域の中学校である。この中学校には、日本の支援が、被災直後から、入っていた。校 舎は、日本の支援で、この4月に新築された。トラウマストレスマネジメント授業では 、私の漸進性弛緩法のかけ声に、日本語で反復してくれた。トラウマのアンケートの自由記述欄には、家族を亡くした気持ちが表現されていた。また、ストレスマネジメント 授業の感想には、気分が少し楽になったとか、やる気がでてきたといった感想がみられた。 私は、授業の最後に、トラウマによって、無力感・孤立感・不信感といった感情が起こることは自然なこと、しかし、人類は、トラウマをエネルギーにして、文化や芸術や 科学をうみだしてきたこと、君たちには、そのエネルギーがあることを、伝えた。 継続した支援、そして人と人のつながりが必要だと思った。今、日本語・インドネシア語・英語で書いたホームページとブログを作ろうと考えている。アジアの被災した子どもたちが、いまの現状を伝えあう場として提供できればとの願いを込めて。
アチェの中学生の声
◆3年生(女子)
・時にわたしは 親類家族一緒に集まることが出来ればと思うのですが、彼らは津波にさらわれていったいどこに流されたのかわからないの それは不可能です。
・心の中で時々思います。もし兄弟も家族もいない生活はわたしにとって奇妙なもの だとおもいます。
・親戚 友人をたくさん失って大きい災害津波を体験して以来、自分が変わったと思います。いつも恐がり、緊張していて、心配していて、怒りっぽく、悔しがりそんな気 持ちが全部自分の心の中で入り混じっています。
・自分の人生の新しいページを歩むのは 非常に重い感じがします。
◆3年生(女子)
・わたしは恐怖を感じています。そして今もさびしいと感じます。わたしの親がいなくなったのです。
・日本語を勉強したいです。わたしの望みを達成するためにがんばります。
◆3年生(女子)
・あの出来事を思い出すと恐怖、不安、少し困惑、そして思考力がおかしくなる
・安心と感じることができます。そして、やる気があります。
◆2年生(男子)
・飛行機の音などを聞くと恐怖感がある。津波のとき、水が音をたててきていたのだけど信じられずいた。本当に水がきていることを知ってびっくりした。大きい強い音を 聞くと恐い。
・わたしたちは日本人と知り合うことができてうれしかった。この勉強で少し疲れました。でも日本人と勉強できてうれしかった。
(ニュースレター21号/2007年11月)