理事 宮地光子
昨今、モラル・ハラスメントがマスコミで取り上げられることも多くなった。モラル・ハラスメントは、心を痛めつける暴力である。
しかし、司法の場では、まだまだモラル・ハラスメントに対する認識が低い。身体的暴力が、その被害の痕を人間の体に目に見える形で残すのに、モラル・ハラスメントの痕跡は見ることができない。モラル・ハラスメントの被害がさまざまな身体症状として現われたり、PTSDを発症することもあるが、モラル・ハラスメントとの因果関係を証明することは容易なことではない。この違いが、モラル・ハラスメントを暴力として認めさせるにあたっての壁になる。
ある離婚事件で、夫がモラハラ夫であり、妻にはPTSDの診断が下されているケースがあった。夫が面接交渉の調停を申立てきたが、調停が不調になり、審判手続きに移行し、裁判官と調査官や技官が同席しての審問手続きが開かれた。その席上、技官は「本件は、モラル・ハラスメントなどではなくて、性格の不一致ではないか」と何のためらいもなく被害者である妻にたたみかけた。そして妻に対して出されているPTSDの診断についても、「本当にPTSDなら、どうしてPTSDに対する本格的な治療をしないのか」と疑問を呈した。技官は精神科医であるが、精神科医であれば、PTSDに対する本格的な治療を行える医療機関がきわめて限られているということは当然わかっているはずなのに・・・である。
そしてさらに悩ましい事態になるのは、試験的面接交渉の実施を裁判所から提案された時である。試験的面接交渉は、裁判所が面接交渉についての審判を行うにあたって、事前に面接交渉を試験的に実施してみて、その様子を審判の判断材料にするというものである。そしてこの試験的面接交渉にあたって、大阪家裁は、次のような当事者への説明文書を出している。
「お父さん、お母さんが、お子さまに接する様子を観察します。また、お子様の不安や緊張を和らげるための配慮の有無や程度などを観察します。お子さまが父母の紛争の板挟みにならないよう、お子さまを安心させるように配慮するとともに、相手当事者と同席する場面では和やかにふるまうよう努力して下さい。」
要するに、試験的面接交渉では、同居親と別居親が、子どもの前で同席する場面をつくり、その時の親の態度も観察の対象となるというのである。しかしこの最後の「相手当事者と同席する場面では和やかにふるまうように努力して下さい」とくだりに、私は少なからず疑問を感じた。もしもこれがDVの事案にまで適用されるとしたら問題であろう。そもそもDVでは、被害者と加害者の同席すら避けるべきなのであるから。恐らく裁判所も身体的暴力のDV事案は、このような試験的面接交渉の対象とは見ていないだろう。しかしモラル・ハラスメントが、DVとして位置付けられなかったら、どうだろうか。現に、私はモラルハラスメントを主張している事案で、このような試験的面接交渉の実施を提案されたことがある。
DV被害者の回復にとって重要なことは、自己尊重感の回復であり、加害者との境界設定であると言われている。モラル・ハラスメントもDVである限り、被害者の感情は何よりも尊重されなかればならないし、加害者との間に境界が引かれる必要がある。にもかかわらず「相手方当事者と同席する場面では和やかにふるまうように努力して下さい」と被害者に求めることは、「あなたの感情は封印して、『加害者を許すことのできる良き親』を演じて下さい」と言うに等しい。こんな演技を求められれば、DV被害者の回復は遅れるばかりである。そうならないためにも「モラル・ハラスメントもDVである」と言い続けていくしかないのかと、事務所から家裁への道のりを歩きながら考える日々である。
(ニュースレター24号/2008年8月)