理事 津村 薫
今年、娘が成人した。何度か大病をしたため、肝を冷やす体験はしたけれど、親として学ぶ機会をたくさん与えてくれ、存分に子どもの可愛さを楽しませてもらえて、こちらが感謝している。
9月、夫と旅行に行った。行き先は白浜。夫婦ふたりきりの旅行は、実は新婚旅行以来。結婚後、子どもが産まれる前はあちこち行ったものだが、いつも友達とワイワイ出かけていた。多忙で1泊がやっとなので近場が良いと白浜にしたけれど、ここは結構、私たちの思い出が詰まっている場所でもあることに、後で気づいた。
私が2歳の頃、両親は白浜に旅行したという。興奮した私は寝つかれなかったのか、旅館でライオンのように(?)うろうろとハイハイし続けて困ったという話を何度も聞かされた。私が大好きだった、亡くなった叔母は新婚旅行先が白浜だったのだとも、最近知った。
夫と結婚が決まった頃も、私は家族や親族で白浜に行っている。まだ携帯電話はおろか、ポケベルすら一般の人は持っていない時代だ。恐らく独身最後の家族との旅行になるであろうとわかっていた。これまでの思い出から結婚後のことに、あれこれ思いを馳せながら、名所を回った記憶がある。
そして、娘が2歳くらいだろうか。義父が勤続30周年記念にと、会社から旅行をプレゼントされた。夫婦で豪華海外旅行を楽しむこともできたのに、義父たちが望んだのは、息子たち一家を連れて、みんなで旅行に行くことだった。義父母と私たち家族3人、まだ新婚だった義弟夫婦の7人で白浜へ連れて行ってもらった。そして、これが50歳過ぎで寝たきりになり、60歳を目前にして亡くなった義母が元気に楽しめた、最後の旅行になった。
アドベンチャーワールドに行った時、せっかくのサファリの中で娘が寝てしまい、「ほら、がおーちゃん(当時娘は、猛獣のことを唸り声からか、「がおーちゃん」と呼んでいた)だよ~」と言っても起きない。これは語り草になり、娘が今も、「その話、なんべんも聞かされたわー」と言う。
ホテルへ着けば、売店では娘が「ア」と指差したものを片っ端から買ってしまうような甘い義父に、「パパ~」とたしなめていた義母の顔が浮かぶ。楽しい思い出ながら、もっと元気に長生きして、いろんなところに遊びに行ってほしかったと、胸が痛む思いも併せ持っている。
そして今回。結婚22年を迎える私たちが、ふたりきりで白浜に行った。そのことについて特段、白浜で話した訳ではないけれど、私たちが刻んできた歴史と、周囲とのつながりを感じさせる旅になったと思う。
さまざまなつながりの中で私たちは育ち、大人になり、出会い、結婚した。子どもをなし、また新たなつながりを得て、いろんな体験から、失敗しつつも学び、出会いや別れを繰り返し、年を重ねての、夫婦ふたりの旅。白浜が私たちを呼んでいたのだろうか。
これからの人生も、皆とのつながりの中で、ふたりとも元気により良く生きていけるといいな。さまざまな、つながりに感謝。あなたたちのおかげで、私たちはいま、こうして生きています。
(ニュースレター25号/2008年11月)