理事 前村よう子
夫の母は大正生まれ。ほとんど空襲がなかった田舎育ちで、食べ物に困ることもなかった義母にとっては、若い頃が一番良かったのだという。あちこちから「是非、嫁に」と声をかけてもらったものの、同世代の男性は皆、徴兵されてしまった。終戦後、ようやく巡ってきた縁は、子持ちの年下男性との再婚。「もっといい縁もあったのに、困っている人を助けることも仏の道」と説く実母に説得され、仕方なく嫁したという。酒飲みで気が弱く、その分、酒を飲むと気が大きくなり、暴れ回る夫に、義母はかなり苦労したらしい。「40度の熱が出ても、横になったことなんてないわ。お父ちゃんが仕事から帰った時に、横になってたりしたら、怒鳴って暴れるから。ややこしい」と、よく義母に聞かされたものだ。
そのややこしい夫を十数年前に肺ガンで亡くした後、義母にとって、人生で二番目に楽しい時代が訪れた。子どもたちは皆独立し、孫にも恵まれ、定年まで事務員として働き続け、その後も年金受け取りのギリギリまで掃除婦やお手伝いさんとして働き続けたおかげで、年金も満額受け取ることができた。お芝居やコンサート、絵手紙教室、カラオケ教室、手芸教室、習字教室、女学校時代の友達との旅行等々、第二の青春を謳歌していた。
が、80代半ばを迎えようかという昨夏、胃ガンが見つかり、秋には全身麻酔で胃の全摘手術。胃ガンは乗り越えたものの、麻酔の影響や様々な要因が重なり、認知症傾向が一気に加速。訪問介護や見守りサービス、デイサービス等、在宅で利用できる介護サービスメニューを目一杯受け、義母は退院後も一人暮らしを続けてきた。二度の小火騒ぎ(お茶碗をコンロにかけていた)等をきっかけに、ケアマネージャー(介護計画を立てる人)の紹介でこの春からグループホームに入所した。
グループホームとは、少人数制の認知症高齢者の為の施設で、職員と共に入所者が身の回りのことを自分で行う生活の場だ。予約後1年で入れたらラッキーという場所に、運良くすぐ入居できることとなった。ただ、この一年、ジェットコースターのように激しく動いた義母の人生、そんなに上手くは運ばなかった。入所予定日の4日前に自宅で転んで右肩を骨折、あごを打撲するという怪我を負い、救急病院に運ばれて治療を受けた後、契約日前に緊急入所。痛みがマシになるまで4週間。その後も機能障害は残るし、弱い痛みは生涯にわたって続くだろうとのことだった。
認知症をはじめとする記憶のこと、身体のこと、どんどん友が亡くなっていくこと、子ども世代の忙しさ、経済的なこと、地域的なこと(介護は保険料もサービスの有無も、地域差がかなり激しい)等々。老いるということは、本人にとって、かなり多くの現実に向き合わざるを得ないことだ。そして、終末期を意識することは、もっと辛い現実をたたきつけられることだ。義母を見ていて、日々、実感する。
私は一体、どんな老いを迎えるのだろう?どんな終末期を迎えるのだろう?どんな状況になっていようと、逃げる訳にはいかない。義母の勇気を、私も持ちたいと思う。
(ニュースレター27号/2009年5月)