大阪樟蔭女子大学 石川義之
「ネグレクトのネグレクト(無視)」とか「最も忘れられた」虐待と言われているように、社会だけでなく専門家の間でもネグレクトの問題への関心は低い(Miller-Perrin and Perrin [1999]2007=2003: 272)。その主な理由は、ネグレクト ー そして、心理的虐待もだが ー は、身体的虐待や性的虐待と比べて、直接観察できる傷を負う程度が低く、その否定的影響がずっと分かりにくいからであろう。しかし、このタイプの虐待は、場合によっては、その影響が潜行し、ほかの虐待と同じくらい、あるいはそれ以上に深刻な影響を与えると言われている。事実、わが国でもネグレクトを中心にした虐待によって死亡事件が起きているなど、その発生と影響が懸念されている。一方、わが国おいても子ども虐待に関する調査は相当程度蓄積されてきたが、その重大性にもかかわらずネグレクトに関する調査研究は依然として希薄なままである。このような状況のもとで、今回のネグレクト調査は企画された。調査は、関西圏の5大学に在学する956人の男女学生を対象にし、そのうち508人から回答を得た。有効回答率は53.1%であった。もとより、学生調査であるのでサンプルの代表性には限界があるが、パイオニア的な試みとして、この調査から得られた知見には少なからぬ意義があると思う。
今回の調査で、20項目のネグレクトと思われる養育者の行為による被害の有無を尋ねたが(表1)、ネグレクト行為を1つでも受けたことがある「ネグレクト被害経験あり」の者が67.1%を占めた。しかも、ネグレクト被害経験の多寡を算出したところ、「ネグレクト被害経験多くあり」が35.4%にのぼった。被害を受けた時期については、「小学校時」が最も多く44.0%を占めた。
受けたネグレクト被害の中で最も辛かった経験を選んでもらったところ、「自分の話を聞いてもらえなかった」が最も多く17.0%を占めた。以下、「家に入れてもらえなかった」17.0%、「新しいことにチャレンジしようとしても、機会を与えてもらえなかった」10.3%、「親と遊んでもらえなかった」8.0%、「体調不良に対処してくれなかった」7.1%、などとなっている。なお、受けた被害経験中における最も辛かった経験への選択率も「自分の話を聞いてもらえなかった」が最も高く42.7%にのぼる(「その他」を除く)。
最も辛かった経験の時期については、「小学校時」が最も多く42.5%を占め、最も辛かった経験の相手については、「実母」が最も多く72.8%を占めた。最も辛かった経験の継続期間については、「1回だけ」が最も多く37.6%を占めたが、このことは、ネグレクト被害による辛さは、継続期間の長さや回数に必ずしも依らないこと、つまり、「1回だけ」であっても最も辛い経験となりうることを示している。
最も辛かった経験があった時の対処法については、「何もしなかった」が最も多く35.8%を占めた。対処法を「積極的対応」(26.2%)、「消極的対応」(27.5%)、「無対応」(35.8%)というふうに3分すると、「消極的対応」と「無対応」(=「何もしなかった」)とで63.3%を占め、ネグレクトに対する子どもの無力状態を表している。
最も辛かった経験について話したり相談したりした経験に関しては、「話したり相談したりしたことはない」が最も多く53.1%を占めた。話したり相談したりした場合は、その相手は「友人・知人」が多く22.4%を数える。反面、「専門家または専門機関に相談した」は0.9%にすぎず、ネグレクトの相談相手は、インフォーマルな関係をたどって求められることを示している。なによりも、「話したり相談したりしたことはない」が過半を占めることは、ネグレクト被害者におけるサイレント反応の強さを表している。
最も辛かった経験があった時の動揺の程度については、「とても動揺した」が最も多く25.2%を占め、「全く動揺しなかった」は14.8%にすぎなかった。最も辛かった経験のこれまでの人生への影響の程度については、「あまり影響を及ぼさなかった」が最も多く40.9%、以下「全く影響を及ぼさなかった」24.8%、「かなりの影響を及ぼした」23.9%、「大きな影響を及ぼした」10.4%、となっている。「かなりの影響を及ぼした」と「大きな影響を及ぼした」とを併せて「影響を及ぼした」、「あまり影響を及ぼさなかった」と「全く影響を及ぼさなかった」とを併せて「影響を及ぼさなかった」とした場合、「影響を及ぼした」34.3%、「影響を及ぼさなかった」65.7%となり、後者が前者を上回る。ただし、この結果は、実際に影響を及ぼさなかったことよりも、むしろ被害者自身に影響の自覚がないことを示している可能性が強い。このことは、ネグレクト被害の長期的影響を検証するパス解析などの結果から示唆される。
ネグレクトの被害発生は、「性別」・「在籍する学校(共学・女子校)」・「子ども時代の家庭の家族構成(核家族・拡大家族)」・「子ども時代の家庭の経済状況」の4要因によって左右されることが、クロス集計とその検定の結果明らかとなった。ネグレクトは「貧困階層」の病理と言われるが、このことはわれわれの調査でも実証された。また、「核家族」においてネグレクトの発生率が高く、現代日本におけるネグレクトの発生は「核家族化」の進行と無縁でないことが明らかとなった。なお、「性別」については「女性」よりも「男性」、「在籍する学校」については「女子校」よりも「共学」のほうが被害発生率が高かった。
ネグレクトの発生は、他の虐待(身体的虐待や心理的虐待)の発生を伴っている場合が多い。つまり、ネグレクトの発生している家庭では、他の虐待も起こっている可能性が高い。このことは、両者の間の強い相関関係から明らかである。そして、ネグレクト被害は、ネグレクト以外の虐待被害と相まって、その被害者に、心理的損傷や社会生活不適応をもたらしている。ネグレクト被害者において「長期的影響なし」の回答が多いのは事実上「影響がない」のではなく、影響はあるがその影響についての「自覚」がないことを表しているのだという前記の指摘は、ネグレクト被害がネグレクト以外の虐待被害と協働しながら「影響(ダメージ)」を惹起しているという統計的分析結果から妥当性が証明される。
このような「影響(ダメージ)」をもたらすネグレクト被害の普及率が67.1%にのぼる現状は改められなければならない。
ネグレクトに対する予防策、殊に育児・家庭教育上の必要条件として回答者が考えているものは、第1位が「子育ての悩みや不安をかかえこまないよう、親同士の交流をはかる子育てサークルの普及」42.6%、第2位が「いつでも相談できる電話や窓口を充実させる」22.2%、第3位が「地域ネットワークを深めるための活動」12.9%、第4位が「子どもの権利や福祉を守る法律・制度を充実させる」10.5%、となっている。他方、「講演や研修会などによる虐待に関する知識の普及等の啓発活動」(2.0%)、「未熟児または障害を持った子どもを出産した親へは、特別に支援・指導をする」(3.2%)、「妊娠から出産までの期間に行う、子育て体験学習を開く」(4.2%)、「その他」(2.6%)は少ない。
「養育者と子どもの間に問題が生じた場合、どのような対応が適切だと思いますか」という、対応策に関する問いに対しては、第1位は「家庭内で主な養育者以外(父親・祖父母など)が育児に加わるようにする」26.7%、第2位は「専門機関に相談する」24.4%、第3位は「学校や教育現場の人間が養育者と話し合いの場をもったり、気を配るようにする」21.6%、「親戚や身内の人間が養育に加わり様子をみるか、一時預かってもらう」12.3%、となっている。「家庭内のことだから家庭内で処理する」は9.5%、「近所の人にしばらく様子をみてもらう」と「その他」とは同率で2.4%、「特に対応の必要はない」は0.8%にすぎなかった。父親の育児参加と専門機関の活動に期待が寄せられている反面、「特に対応の必要はない」とする意見は皆無に等しかった。
いずれにせよ、本調査分析で明らかになったようなネグレクト被害のもたらす影響(ダメージ)の深刻性を考慮すれば、身体的虐待や性的虐待と同様もしくはそれ以上に、ネグレクトの発生に対する予防策、またネグレクトが起こってしまった場合の対応策について、これまで以上に心理・家族・社会上の配慮が必要といえるだろう。
[文献]
Miller-Perrin,Cindy and Robin Perrin, 1999[2007], Child Maltreatment: An Introduction, the United State,London and New Delhi: Sage Publications,Inc..(= 2003,伊藤友里訳『子ども虐待問題の理論と
研究』明石書店.)
石川義之,2008,『ネグレクト(保護の怠慢・拒否)に関する実証的研究-関西圏大学生調査報告-』子どもの人権・福祉を考える会
ネグレクト被害経験の種類 | よくある | 時々ある | ない |
---|---|---|---|
A.体調不良に対処してくれなかった B.免疫注射を受けさせてもらえなかった C.お風呂に入れてもらえなかった D.気候や体のサイズに合わない服装をさせられた E.お菓子を食事として与えられた F.規則正しい食生活をおくらせてもらえなかった G.家の構造上に不備があり、ケガをした H.家の中にごみやくずがたくさんおちていた I.布団が汚れていたり、定期的に干されていなかった J.家に入れてもらえなかった K.公園やごみ捨て場に置き去りにされた L.車のエンジンを切った状態で車内に残された M .一人で家に放っておかれた N.夜遅く外出しても怒られなかった O.親が学校の無断欠席を許していた P.盗みなどの違法行為をしても叱られなかった Q.チャレンジの機会を与えてもらえなかった R.親と遊んでもらえなかった S.話をきいてもらえなかった T.その他 |
3.0 0.4 0.2 0.4 0.2 1.8 0.6 2.2 2.2 1.4 0.0 0.8 4.3 7.3 2.2 0.0 1.6 3.5 5.1 4.3 |
15.0 2.8 1.6 3.3 2.4 5.1 4.7 6.1 5.1 18.9 1.2 11.4 14.0 16.7 6.3 1.0 12.2 16.3 12.4 12.3 |
82.1 96.9 98.2 96.3 97.4 93.1 94.7 91.7 92.7 79.7 98.8 87.8 81.7 76.0 91.5 99.0 86.2 80.1 82.5 83.4 |
(ニュースレター30号/2010年2月)