理事 前村よう子
社会科の非常勤講師として教壇に立って、今年で丸16年。たまたま現代社会や政治経済、倫理といった公民系を毎年担当してきたが、今年は世界史も担当することとなった。確かに教員免許を取得する際には世界史も学んだが、実際に教えるのは初めて。ドキドキしながらのスタートとなった。
教えるということは、実際に伝える内容よりも深く勉強し準備しなければならない。そういう目で、教科書や資料集、参考書等を読み進めるうちに、世界史の魅力にどんどんはまってきている自分に気付いた。もちろん、大学で世界史を専攻した方々とは比べ物にもならない知識ではあるが、人の生きてきた証として世界の歴史をひもとくと新たな発見(単に私が今まで知らなかっただけだが)があり、面白くて仕方がない。ついつい脱線してしまい、自分の興味のままに本を読み進めたり、パソコンでネットサーフィンをして、気付いたら授業に必要なプリントを1枚も作成できていなかったということも多々ある。
そうして準備したエピソードをてんこ盛りにして生徒に伝えていて、気付いたことがある。自分が歴史の大きな変化の中で生きてきたなということだ。
私の子ども時代、世界は冷戦下、大きく東西に分かれていた。ソ連(現在のロシア)や東欧の国々を旅行するなんて、あり得ない話だった。ドイツもベトナムも国が二つに分断されていた。ベトナム戦争のクリスマス休戦は、まるで年中行事のように聞いていた記憶がある。私の故郷にはベトナム定住センターがあった為、学校にベトナム難民の生徒がいるのも普通だった。ベルリンの壁崩壊や冷戦終結、そして湾岸戦争、イラク戦争、あちこちでの内戦、テロ、クーデター、いろんな出来事を歴史としてではなく、いつも世界のどこかで現在進行形で起こっている事として捉えてきたと思う。生徒に話しながらも「そうだ、これは、小学生の頃の話だったなぁ」と実感がこもる。
しかし、当然ながら生徒にとっては、生まれるよりずっと前の出来事であり、過去のこと、つまり文字通り歴史であって、「定期テストの為に、暗記せねばならない内容」となる。すると、「先生の話のこの部分は暗記した方がいいんですか?テストに出るんですか?」という質問が飛んでくる。面白そうだという興味を抱く前に、まずは「試験範囲に入るかどうか」が生徒たちにとっては最重要課題で、「試験には出さないよ。ただ知っておいてほしい事柄だから話しているだけ」と言うと、とたんに興味を失い、英語や漢字の暗記を始めたり、眠る体制に入る。もちろん、目を輝かせて話を聞いたり、授業で取り上げた内容を家庭でも親との話題にしたという声も聞くが、受験勉強第一で、日々、偏差値に追われている生徒たちの多くは、直接受験や定期テストに関わらないことにまで割く時間と心の余裕はないのかもしれない。
その時代を生き、その時代を実感してきたことを伝える為には、伝える側だけが頑張ってもダメだ。まずは聴く側の、どんな話でもしっかり聴こうという姿勢が大切である。私たちの世代も、その上の、戦争を体験された世代から真摯な気持ちで話を聴く姿勢を失わないことで、次世代に伝えていかなければならないなと実感する日々だ。
(ニュースレター33号/2010年11月)