理事 窪田容子
子どもの中学校の卒業式まであと3日という日、仕事をしている昼間に、中学校から携帯に着信が入った。学年主任の先生からで、「○○くんが先生とトラブって、学校から無断で帰ってしまい、今探しているところですが、お母さんにお知らせしておきます。」とのこと。迷惑をかけていることを詫び、子どもの携帯に電話してみることを伝え、電話を切った。子どもに電話をして話をきくと、授業中に友達から借りた漫画を読んでいたら、生徒指導の先生に漫画の本で頭と顔を何回も叩かれ、帰れと言われたから帰ってきたとのこと。授業中に漫画を読むのはいけないことだけれど、叩いたのは先生が間違っていたね、帰ってからまた話をきかせてと、子どもには手短に伝えて電話を切り、再度中学校に電話して、子どもは自宅にいるので大丈夫なこと、帰宅してからゆっくり話をしてみることを伝えた。
夕方、生徒指導の先生から、ことの経緯をお母さんに伝えたいとお電話があり、叩いて帰れと言った経過を話され、申し訳なかったと謝られた。この先生は、子どものことを親身に考えてくれ、心のこもった声かけをしてくれ、子どもが信頼していた先生だった。それだけに、卒業式まであと3日しか登校しないこの期に及んで、子どもの先生への信頼に傷がつくのは残念でならなかった。修復するための時間があまり残されてはいない。迷惑をかけたことは詫び、お世話になっていることへの感謝を伝えた上で、そんな私の気持ちを先生に伝えたら、明日にでも子どもときちんと話をすると言ってくれた。
翌日、先生は子どもと話をしてくれ、子どもはすっきりしたようだった。学年主任の先生は子どもに、「校長先生が、○○先生に叩いたことを注意していたよ」と声をかけてくれたとのことだった。そこには、私が多少警戒していた「漫画を読んでいたのだから、叩かれても仕方がない」というニュアンスはなかった。たとえ何をしたとしても、教師が生徒に暴力を振るうことを正当化する理由とはならない。
子どもにとって、学校という場は、社会への入口になる。学校で先生への不信感を高めてしまえば、それが社会への不信感へと広がっていき、反社会的な行動を起こすことにつながる側面もあるのではないか。逆に、先生と信頼関係を結ぶことができれば、その信頼が広がり、社会への信頼も結びやすくなるように思う。
学校という社会の中で、子どもは社会のルールを学ばなければならないし、先生もまた社会のルールに則って行動しなければならない。子どもも先生も間違いを犯してしまうことはあるが、それを認めて謝れば、関係は修復され、信頼を取り戻すことができる。叩いた先生ばかりではなく、学校という小さな社会の長である校長が、体罰は間違っているというスタンスに立ってくれたこと、そして学年主任を通して子どもにきちんと伝えてくれたことがありがたい。子どもにとっては、信頼の結び直しについて学ぶ、一つの機会になったのではないだろうか。卒業式の日に、先生方には再度お礼を伝え、私もすがすがしい気持ちで学校を後にすることができた。
(ニュースレター39号/2012年5月)