理事長 村本邦子
「国際交流と平和」
この1年、たくさんの国を巡った。アメリカ、ベトナム、ポーランド、ドイツ、インドネシア、中国、フランス、韓国、カナダ、オーストラリア。今は平和でのどかに見えるが、どこへ行っても戦争の影を見つけることができる。とくに日本が侵略の歴史を持つ国々では、「今から60~70年前にタイムスリップしたなら、この地で何が起こっていたのか?」と想像するだけで身震いする。昔々の時代から、人々が侵略のためにどれほど国際的に移動してきたかを思うと、その執念は驚異的でもある。たとえば、今は誰も行ったことのないようなところに、年配の男性たちは戦争で行っていたりするのだ。
他方、今の若者たちの国際交流は、交通と情報が格段に進歩した現代に特有のものである。お正月、子どもたちとパリへ行ったが、息子が「せっかくだし、誰か友達と会えないかな~?」とつぶやきながらネットをいじっていたと思ったら、2人の若いパリジャンが名乗りを挙げ、観光ガイドを買って出てくれた。短期留学で大学に来ていた友達で、ネットで呼びかけると(ミクシィの世界版のようなものらしい)反応が返ってくるのだ。ベルサイユへ向かう列車の中で、若者4人が仲良くトランプゲームをして笑い転げている風景を見ながら、こんなことの積み重ねが平和への小さな一歩になるのだろうかと思った。
とは言え、いくら表面的に友好関係を保っていても、根底にわだかまりがあれば、些細なことを引き金にたやすく関係はこじれるものである。10月の南京セミナーでは、戦争加害・被害を真正面からテーマにすることで、深い交流を持つことができた(長い間、日本人との国際交流を行ってきた中国人女性がそう言ってくれた)。2月の韓国でも面白い経験をした。ソウルでメガネを作ったのだが、できあがり時間をめぐって、「翌日12時に大使館前に行きたいのだが」と言ったことから、大使館に何をしに行くのか質問されるはめになった。こんなシチュエーションで「水曜集会」(いわゆる「慰安婦」だったハルモニたちへの謝罪と補償を日本政府に訴えるデモ)の話題を口にして、いったいどんな反応が返ってくるのか?と躊躇があって、最初はごまかしていたが、最終的に話すと、店員たちは「私たちのためにやってくれるのだから、私たちが送ります」と(本当のところ、「あなたたちのためにというより、私たちがやるべきこととして」ということだが)、翌朝、メガネの仕上がりを早めてくれたばかりか、時間に間に合うように大使館へ送ってくれたのだった。
日本の外に出て、あらためて日本が見えることがたくさんある。そして、日本が島国であることを痛感する。大陸では、あるいは移民の多い国では、国境も県境のようなものだ。日本も今後、ますます多民族国家になっていくだろう。違いに寛容な社会にしていきたいものだ。
(ニュースレター31号/2010年5月)