理事長 村本邦子
地域の歴史を掘り起こす
この夏、大学のゼミ生を連れ、北海道戦争と平和のフィールドワークに行ってきました。北海道のみなさんのご好意で充実した4日間を過ごしましたが、これまで「東アジア共同ワークショップ」として知っていたものが「空知民衆史講座」に遡る歴史について学びました。北海道には「民衆史掘り起こし運動」の歴史があります。北見の高校教諭小池喜孝氏が始め、全道規模に広がりをみせた草の根の歴史発掘運動で、役所やアカデミズムによる「公式の歴史」では見落とされてしまいがちの「民衆」(政治的抵抗者、囚人、タコ部屋労働者、女性、ウィルタ・アイヌなどの先住民族、中国人・朝鮮人強制労働犠牲者などを含む)がたどった歴史を目に見える形に記録し、そうした民衆の犠牲を追悼し、さらには彼ら・彼女らの功績を正当に評価・顕彰するということにあるのだそうです(小田博志HP、http://www13.ocn.ne.jp/~hoda/minsyushi.html, 2010.7より)。
この空知民衆史講座もそうした民衆史掘り起こし運動のひとつですが、1976年、住職である殿平義彦さんが、偶然、朱鞠内・光顕寺にある引き取り手のない位牌と出会ったところから生まれました。朱鞠内湖は戦時中に作られた国内最大の人造湖で、北海道入植時の過酷な囚人労働の流れを汲む「タコ部屋」労働者を中心に、数千人の日本人労働者と少なくとも三千人の朝鮮人労働者が動員され、多くの犠牲者を出したのです。空知民衆史講座の人たちは、朱鞠内の笹藪の下で埋められたままになっている犠牲者の遺骨発掘作業を始め、役場に保存されている「埋火葬認許証」と光顕寺の「過去帖」を突き合わせ、ダム工事と共に行われた鉄道工事を合わせて214人の犠牲者があったことを確かめました(殿平義彦「遺骨と出会う~強制連行犠牲者と足もとの戦後」『春秋』2010.8.9号参照)。この発掘作業は、1997年、百人を超える日韓の若者たちによる「日韓共同ワークショップ」とし受け継がれ、2001年からは、「東アジア共同ワークショップ」として現在にいたるのです。戦時下における強制連行・労働について、加害側と被害側にある若者たちが、ともに歴史を掘り起こしながら出会い直していくプロセスは感動的ですが、その背景には、そんな草の根運動があったのです。
もともと地域社会を表していたコミュニティは、現在、機能的な社会集団を表すことの方が多くなっています。それでも、自分たちが暮らす土地の足元にどんな隠された歴史があるのか、市民の手で掘り起こし語り継いでいこうとする行為は尊いものだと思いました。考えさせられることの多いフィールドワークでした。
(ニュースレター33号/2010年11月)