第1回年次大会を11月2日、ドーンセンターにて、以下のプログラムで開催しました。多数のご参加を頂き、シンポジウム、活動報告、実践発表ともに、盛況のうちに終えることができました。
交流会では、テーブルを囲んで、自己紹介とNPOへの期待や抱負などを語り合いました。シンポジストの方々、実践発表をしてくださった活動会員さん、ボランティアを引き受けて下さった活動会員さん、ご参加下さった皆様、どうもありがとうございました。(理事 窪田 容子)
第1回年次大会・プログラム
○理事長挨拶
○シンポジウム 『トラウマを超えて』
○活動報告
・設立記念イベント
・ワーキングマザーのためのストレスマネジメント講座
・家づくりを学ぼう!-建築家と共に
・被害者アドボケーター養成講座
・子どもプロジェクト
・グループファシリテーター養成講座
・援助者向け怒りのコントロールを学ぶ親のグループ養成講座
○活動会員による実践発表
・援助者向けグループセラピー研修
・怒りのコントロールを学ぶ親のグループ
発表者:圓山嘉都美、森崎和代
○全体質疑や意見交換
○交流会
シンポジウム「トラウマを超えて」概要
シンポジスト
団 士郎(理事、仕事場DAN、立命館大学教授)
冨永良喜(理事、兵庫教育大学教授)
宮地光子(理事、女性共同法律事務所弁護士)
司会
村本邦子(理事長、女性ライフサイクル研究所所長、立命館大学教授)
(村本) トラウマという言葉は、阪神大震災以後、日本社会でも急激に広まり、市民にも専門家にも認知を得た。他方で、一種のファッションのようになってきた現実がある。ここで立ち止まって、トラウマの概念の見直しができたらと思い、今回の企画になった。
(団) 問題提起として聞いてほしい。「言葉によって切りひらかれる世界」と、「言葉でわかったような気になる世界」の間、これがずっと続いている大きなテーマだと思う。児童相談所で20年余り仕事をし、現場にかかわってきた。その当時から、流行のような言葉にはずっと警戒感をもってきた。その時代その時代になんとなく、みんなが同じ事を口走って分かったような気分になるのはどうしてなのだろう。言葉を覚えることで分かったような気になって、それをどんどん消費してゆく。そういう繰り返しをしてきた世界の一つが、心理臨床や心のケアを謳う世界ではないだろうか。
そしてその流行にはいつもそれを動機づける時代背景が張り付いている。物質的には豊かになった現在の日本で、心の空洞化や心のケアの大切さを叫ぶことは、もっともなような気がしてしまう。しかしちょっと立ち止まって冷静に世界を見渡せば、こんなにいい気で傲慢な国民もないなぁということにならないか。
子ども権利条約が話題になったことがあった。翻訳が二、三種類あったように記憶しているが、あれは元々どこの国の言葉で書かれたものだったのだろう。おそらくそこには、子どもへの労働の強要や戦争への動員、教育を受ける機会の剥奪や、安全、健康の阻害が蔓延しているのだろう。日本の子どもの権利を軽視するつもりはないが、子どもの死亡率が世界でもっとも低い一群の国民として、自分たちだけがあまりいい気なことは言っていたくないと思う。
こころの時代だということになって久しいが、そんな中で、安易にこころのケアやトラウマや、PTSDなどと分類して語りたくない。それぞれの現場での具体的な思いを大切にしたい。分類用語を口にすることで、簡単に分かった気にならないようにしたいと思う。
(冨永) トラウマの定義を、DSM-ⅣのPTSDのA基準に依れば、「トラウマとは命にかかわる出来事での戦慄恐怖体験」といえる。犯罪被害、交通事故、虐待、DV(ドメスティック・バイオレンス)などが、トラウマティック・イベントである。事故などの1回だけの「単回性トラウマ」、虐待などでの「反復性トラウマ」があり、共通点と相違点がある。
トラウマ反応には、PTSDだけでなく、うつ、心身症、反社会的行動などがある。PTSD(外傷後ストレス障害)の主症状は、麻痺(回避)・侵入(再体験)・過覚醒である。「トラウマ性記憶」は、時の経過では変化せず、イメージ・感覚・感情状態から成り立つ「記憶する身体」を生む。
いまは安全だと知的にはわかっていても、戦闘態勢を解除することを身体が許さないし、身体ごとの記憶が蘇る。また、「トラウマ反応の中核感情」として「否定的認知」が生まれる。孤立無援感、自責感情(私が悪かった)、自分や他者への不信感を抱くことがある。
トラウマという概念により、被害後の心身反応や望ましい対処といった知識を得ることは、被害にあった方々への支援になる。人生や将来への否定的な認知によって、本来の生きる力が制限されてはならない。「人には、トラウマ体験を超えて、社会に生かす体験へと変えていく力が内在されている」との強いメッセージを送る応援者が必要である。大切な家族を犯罪によって亡くした、または身体機能を奪われた時は、「喪失体験」である。トラウマだけではなく、「悲嘆」が中核になる。心的支援として、「恐怖」には「安心・絆・表現」、「喪失」には「戦い・絆」が必要である。ご遺族は、蘇ることのない命に嘆き悲しみ、裁判で再び傷つくことが多い。日本の裁判制度を変えていったり、二度と犯罪が起きないよう戦っているのである。それはまさに戦いとしか表現できない取り組みだ。
阪神大震災のとき、「心のケア」という看板をかかえた機関が多くできたが、実際には人々はあまりいかなかった。その代わり、お互い自然に助け合い心のケアをしあっていた。市民が望ましいかかわり方を知って、地域で実践することが大事である。
また、専門家による「心理療法」も大切である。認知行動療法、イメージ動作療法、精神分析的療法などがある。ジュディス・ハーマンの回復の三段階は、安全感・服喪追悼・社会への結合である。心が凍る状態の中で、興奮、身体症状、フラッシュバック、退行などがみられるが、それは苦しい中でも、メッセージを発しているのであり、それに応えていく援助が必要だ。
犯罪被害者遺族が自ら語る自助グループも大切。その意味として、遺族が、次の5つをあげている。情報交換の場、痛みを乗り越えながら辛い体験を通過することができる場、自分を取り戻す場、考えや気持ちをオープンに語れる場、自分の学んだことを他の人に返す場。癒しという言葉が使われていないが、それは当事者の気持ちを表している。
今、大人たちができることとして、「被害者の人権を保障したし司法制度改革」と共に、「心の予防教育」があると思う。今後、「心の予防教育」を学校や職場でおこないたい。それが、トラウマを超えていくこととつながると思う。内容として、加害防止教育(いじめ・自殺・DV防止)と、心を育てる教育(アサーション、ピアサポート、構成的グループエンカウンター)がある。
また、その中で、心が傷つくこと・回復することを体験的に学ぶ「ストレスマネジメント教育」をすすめたい。怒りや悲しみを自然なものとして受けとめ、その感情を、自分を生かす表現やエネルギーに変える教育が大切。人には怒りや悲しみを和らげる力がある。もともとあるその人の力を信じサポートしたい。
DVシェルターで出会う子どもでも、被虐待児とかトラウマをもつ人とか、すぐに決め付けてはならない。その点は、「トラウマ流行への警告」を発した団さんと同意見だ。自然と共にいて一緒に遊んだりすることが大切だと思う。私たちは、育成的アプローチと呼んでいる。しかし、何かにチャレンジしようとするとき、「自分はできない」といった否定的な認知が、子どもを支配し圧倒しようとする。その時、かかわる者が、トラウマについての知識をもっていれば、落ち着いて対応できる。その点、トラウマについて知ることは、支援にとって不可欠である。
フロアからの「少年犯罪で、『まわりもみんなしているからする』、ということを言う子どもが多い。社会の中で暴力が生まれつづけることを、どう組み替えていけるか」との質問に対して、「暴力の連鎖を断ち切るのは、教育をおいて他にない。英知を結集し、そういった社会をつくっていこう。このNPOはまさにその使命を負っている」と結んだ。
(宮地) トラウマという言葉が流行りのようになってしまい、そのマイナスの面があったとしても、私としてはプラスの面を強調したい。DVなどは、日常の中でくりかえされながら、諦めたり、暴力ではないんだと思って今までやりすごされてきた。いや、そうではないんだ、それは許されない暴力なんだ、そのためにトラウマになり深刻な苦しみがあるんだということが、社会的に明らかにされてきた。新しい言葉によって、被害の苦しみが明らかになることの意義は大きい。
今まで、女性たちは、それを語る言葉もなかった。福岡でのセクシャル・ハラスメント事件は、性的風聞が女性に加えられ職場から排除されてきたことに対して、初めて損害賠償が認められたケースだった。そしてそのことによって、それはセクシャル・ハラスメントなんだと、言葉が与えられていった画期的な事件だった。
被害を訴える道具として、トラウマという言葉がある。あるキャンパス・セクシャル・ハラスメントの事件のことを思い出す。そこでは、大学の日常の中で、教官が学生をマインド・コントロールしていることが、背景にあった。被害者が明確な抵抗の意思を示すことができずにきたため、被害をわかりにくくしていた。加害者は、謝罪せず、加害の責任を認めずにいた。しかし支援者が被害者から克明に聞き取りをするなかで、加害教員による講義やゼミの中で、セクシャル・ハラスメントをうけてもやりすごす強さをもつことや、教官のご機嫌をうまくとれるようになることが、いい教員になるために必要であるというメッセージが繰り返し伝えられていたことが明らかになってきた。そのため、長期にわたって、抵抗もできず、性的な支配を受ける被害が発生した。
DVや離婚でも、殺されそうな暴力があれば、わかりやすい。でも多くは、日常の細々とした出来事の積み重ねの中で、支配があり、被害がある。日常の中にある「要領を得ない、細かな話」を、被害者が語ることが重要。弁護士も、「どんな暴力を受けたのか」と依頼者につめよったり、裁判の覚悟をすぐ求めたり、「なぜ抵抗できなかったのか」とたたみかけて、二次的被害をあたえないようにする必要がある。
加害者の再発防止の対策についての質問があったが、被害者支援で、わたしもいっぱいの状態。感想として思うことは、被害者援助を通じて加害者のことを知るが、共通するのは、自己肯定感がとても弱く、他者への依存も強いことがある。加害者の生育暦の問題が背景にある。覚せい剤の事件で、加害者の弁護を国選としておこなった。薬物やアルコールの依存症者の精神構造と、DVなどの加害者は似ていると感じる。加害者自身が、人生の中でトラウマを抱えている。加害者が自分のトラウマを超えていくことが必要。
USAでは、薬物犯罪について、重罰化して、加害者を刑務所にどんどん入れていった。しかし効果が出ず、問題の解決につながらなかった。刑罰の代わりに、強制的にケアのプログラムを受講させる取り組みがすすみつつある。今後、加害者対策のことも、大切であり、学んでいきたい。
(村本) 昔々からトラウマはあった。人類の歴史はトラウマの歴史ともいえる。宗教や芸術を通じて、人々は苦悩を乗り超えるようとしてきた。ただし、ある文化の中で、特定のグループが不公平に苦しまなければならないのはおかしい。女性や子どもが被害を受け続けている現実がある。
トラウマ論の考え方は、因果論である。原因があって、トラウマの結果としての症状があるという考え方は、ある面で有効な働きをする。トラウマが因果論で捉えられる以前、トラウマそのものも、ヒステリーに代表されるような症状もすべてひっくるめて苦悩と捉えられてきた。
たとえば、ある少女の性被害ケースに対して、この子は非行で家出を繰り返しており、男をひっかけている中でレイプされた、そんな子なら被害を受けても仕方がないじゃないかと捉えられてきたが、因果論の立場に立つことで、彼女に、子ども時代の性的虐待があり、その症状としての性的行動化が見られ、再被害を受けるにいたったのだと理解し、説明することができるようになった。
質問者と一緒で、加害者対策という言葉は私も好きではない。けれども、あえてその言葉を使っている。加害者への取組みへの批判があるからだ。加害者対策を活動の中に入れたことを知って、FLCネットワークは被害者の味方だと思っていたのにという声が寄せられたことがある。けれども、被害者のことと加害者のことを両方考えることは、矛盾しないと思う。
虐待してしまう母親たちと会うこともあるが、加害行為は、その人間にとっても不幸なこと。被害も加害も起こらないことが望ましい。被害者のカウンセリングのなかで、加害者が自分のしたことの意味を本当にはわからなかった、心からの謝罪が得られなかったということで躓いてしまって、先へ進むことが困難な場合がある。もちろん、最終的に加害者をコントロールすることは不可能だから、加害者が理解することなど期待すべきでないということは確かだと思う。それでも、加害者がやったことの意味を理解させる手助けをすることができたら、これは、被害者にとって大きな力になるかもしれない。もちろん、殺人事件など、とりかえしのつかないような場合を考えると、限界点がどこかにあるとも感じる。被害者への支援となる加害者対策でなければならないことは言わずもがなである。
コミュニティ心理学は予防を重んじるが、三つの予防がる。第1次予防は、まだ何も起こっていない段階で、すべての人々を対象にした取り組みを指す。第二次予防は、リスク集団への取り組み。たとえば、現在、NPOで取り組んでいることを例に挙げれば、DVを体験した子どもへの予防的介入活動がそれにあたる。たとえトラウマ被害を受けても、本人の力、周りの人々の援助があれば、困難を乗り越えることができる。レジリエンシーと呼ばれるが、回復力を引き出すような支援体制がコミュニティになることが重要だと思う。第三次予防は、既に何らかの障害が生まれた場合に、それをこじらせないような早期の取組みを指す。こうした予防活動によって、トラウマを超えていけることが望ましいと思う。
参加理事のひとことコメント
総会はシンポだけでなく、活動報告も含めて、それこそ「トラウマを超えて」というテーマに相応しいものになっていましたね。私は最近、加害夫だけでなく、裁判官に怒り、警察に怒り、生活保護のケースワーカーに怒り、あげくの果ては、依頼者に怒ってしまいそうになるので、皆さんの活動を報告を聞きながら「怒りのコントロールを学ぶ」必要性をひしひしと感じておりました。でも冨永先生が、交流会の席上「関係機関への怒りは、コントロールしては駄目ですよ」と私に勇気付けて下さいましたので、これからも安心して関係機関への怒りをぶつけることに致しました。
でもやっぱり、罪のない依頼者が、私の怒りの犠牲になってはいけませんから、時間をみつけて「怒りのコントロール」を学ばねばと思っている
ところです。(宮地 光子)
NPOを立ち上げて1年、さまざまな活動を展開してきましたが、活動内容がごちゃごちゃありすぎて全体を知っていたのは私一人だったと思います。今回の大会が、会員や他の理事に活動の全貌を理解してもらう機会となって嬉しいです。団理事からも「見直した!」とお褒めの言葉をもらい(それまでどう思っていたのか!?)、複数の会員から「私たちのNPOってすごい」と言われ、理事長としてはルンルンです。交流会で「自画自賛の団体はいけない」との声もありましたので自戒したいと思いますが、でもやっぱり理解してもらうことが活動のための一番の励みになります。(村本 邦子)
参加者の感想
わがままな?私 通信会員 福村 朱美
先日の第一回年次大会に参加させていただいて、”目からウロコが落ちる”ように、自分の心の中で、解決したことがあります。宮地光子先生のお話の中で、「一回でも、暴力は、悪い・・・一般的に暴力は悪いという認識が余りにもうすい・・」等とありました。20年間、夫の言葉や態度、そして、一度の肉体的暴力、その後に私が心的外傷後ストレスになったことで離婚を決意した時に、意外にも、私の友人や実母、義母、義妹、そして何より元夫との認識の違いを感じて、心の中にもやもやしていたものがありました。宮地先生のお話を聞いて、その「もやもや」が晴れていくような気持ちになりました。
実母は、私に「あんたは辛抱が足らん・・・」とか「昔の女の人は、夫の暴力にも耐えてきた・・」 と言います。義妹が「毎日暴力をふるうわけじゃなし、兄ちゃんは悪くない・・」と言いました。又、私と同年齢の友人は、私が元夫と暮らしていた家を出た時、「自分の我ままを通すんやね」と言いました。元夫は、調停の場で、最後まで自分の非は認めませんでした。暴力をふるったことに対しての一言の謝りもありません。
娘の側に立たない母、暴力のある家庭に育ったにもかかわらず、暴力が悪いことと認めない義妹、DVの夫と暮らしているのに、離婚することは「我まま」だと思っている友人、実父の暴力を見て育ってきた夫。・・そんな人たちとの言葉のやりとりによって、家を出てからこれまで、本当に、二重に傷つき、疲れ、脱力感さえありました。どうして、私の周りの人達は、私の気持ちを理解してくれないのかという疑問が常にあったのです。その疑問に、宮地先生の言葉が「ポンッ」と答えをだして下さいました。暴力・・人を傷つけることを悪いことだとは、思っていない人達がいるんだということです。
私は他人(ひと)を傷つける存在にもなりたくない、他人(ひと)から、罵声を浴びたくもない、傷つけられたくもないと考えています。安心して、これからの時間を過ごしていきたいのです。年次大会の日、私はFLCの会員になりました。
年次大会に参加して 活動会員 斉藤 聖子
11月2日にドーンセンターで行われた年次大会は、小雨が降る中多くの方々を迎えて始まった。シンポジウムのテーマは『トラウマを超えて』。なんとも意味深いタイトルであるが、実際に、数多くの問題提起がなされた1時間半であった。トラウマという言葉が流行することによって生じる危険、トラウマと教育の関係、そして実際に言葉を得たことによって訴える手段を持った女性たちについてなど、シンポジストの先生方それぞれの立場からお話いただいた。今回私にとって一番印象的だったのはこの点である。
フロアからご意見をいただき、私もハッと気がついたのだが、FLCの魅力の一つは、このように様々な立場と価値観を受け入れていることではないだろうか。一人一人が「つながっている」と感じられる社会を作るという目的は共有しつつ、そこへの道のりはこれ、と決めてしまわない。当たり前のようだが、しばしば見失われがちな事である。そうしたFLCの態度が、私たちにもどんどん、自分たちにできることをやっていこうという気にさせてくれるのだろう。私も、これから少しずつ皆さんと一緒に「つながり」をひろげるお手伝いをしていきたいと思った一日だった。
(ニュースレター第6号/2004年2月)