大震災後、毎年12月になると福島を訪れる。いろいろなプログラムをやっているが、もともと子どもプロジェクトのために考えてやり始めたクリスマスカレンダー作りは、人気の定番となっている。今年は70人の子どもたち、大人を入れると130人もの人たちが参加してくれた。早々にたくさんの申し込みがあって、残念ながら同じくらいの人数をお断りしなければならなかった。東京おもちゃ美術館から頂いたおもちゃセットを拡げた遊びコーナーも大人気で、男の子たちがカプラを高く積み上げ、周囲はハラハラドキドキ、同フロアで勉強している高校生たちがニコニコ見守りながら写メを撮るなど、温かく活気あふれる空間となった。
2011年、1年目の訪問の時の様子が思い起こされた。最初のクリスマスカレンダー作りは、1人の子どもに複数の大人がついてくるような状態で、子どもの数より多い大人たちの輪のなかで、子どもたちはお行儀よくカレンダーを作った。当時は、あちこちにホットスポットがあって、子どもだけで外に出ることは禁じられていた。切迫した状況下、子どもたちを大切に見守る大人と、そのなかで安心して遊ぶ子どもの姿には胸を打たれるものがあったが、他方で、大人の眼の届かない空間に抜け出すことのできない恐怖と重圧を感じたものである。
福島市内の住居や学校の除染はほぼ完了したそうである。とは言え、各家庭で除染された行き場のない土は、フレコンバッグに入れられ、緑のビニールシートでくるまれて、家の軒先に置かれている。そんな光景を他所の人々は想像できないだろう。黒いフレコンバックが並ぶ畑や、積み上げられた除染土に緑のシートを被せた丘が延々と続く田んぼは何度も目にしてきたけれど、住宅地の小さな庭に置かれた大きな除染土の塊を見たのは初めてだった。
解決の見通しなく、それでもそこに人々は日常を作っていく。街の活気は戻っているように見えるが、心の奥底には、庭先の除染土が示す現実が重く横たわっていることだろう。これは福島の人々の問題ではなく、私たちみんなの現実だ。こんななかでの原発再稼働は狂気の沙汰ではないか。安心にはほど遠いが、せめてつながりを拡げていくことができればと思う。細々ながら、さまざまな形で発信し、つなげていく工夫を考えようと思っている。
(ニュースレター52号/2017年1月)