熊本に行ってきた。私にとって、熊本は馴染深く、知人も多い所だ。お見舞いがてら、知人やその知人を辿ってお話を伺った。
水が出るようになったのは場所によってずいぶん違い、2週間以上かかったところもあった。給水車も間に合わなかったが、熊本にはたくさんの湧水がある。「どこどこのお水が出ているよ」という口コミで、人々は湧水を汲んで生活した。井戸を持つ人たちが、「どなたでもどうぞ」と張り紙をはって水を提供してくれたので、洗濯もできた。早く水が出たところの人々が、まだ水の出ない子育て中の家庭の洗濯を引き受けるというリレーも行われたそうだ。日頃の人間関係が偲ばれる話だ。
直後は、地震で壊れてしまったもの、使えなくなってしまったもののゴミが大変だったという。道路に大型ゴミが積み上げられ、崩れてきて危険だった。最終的には、近隣の県からゴミ処理車がやってきて、きれいに持ち帰ってくれたというが、ゴミが雨風に曝され、回収作業は大変だったそうだ。知人の住む地域では、自治会長がゴミ処理のルールを決め、とてもスムーズに対応したというささやかなことだが、自治会のまとまりがモノを言うし、そんなところから、また、他者のことを考えてみるという良い循環が回るような気がする。
そして、皆さん言われたのが、「こんなことがここで起きるなんて思いもしなかった」ということだった。「経験して初めてわかったことがある。次にはそれを活かして欲しい」と言った方もあったが、神戸でも東北でも何度も耳にし、今もなお語り続けている人たちがいるのというのに、十分に届いていないのは残念だと思った。たとえば、石巻高校1年生の語り部・雁部那由多さんは、「僕たちは常に『災害と災害の間』を生きている。いくら防災体制や組織をつくっても、それを維持し受け継いでいくためには、人と人とのつながりが重要だし、みんなの防災意識が欠かせない」と語っている(『16歳の語り部』ポプラ社、2016)。
つくづく思うのは、非常時は常時の延長線上にあるということだ。だからこそ、自分たちの日常を耕し、非常事態への対応を日常のなかに入れ込むことが重要だ。東北や熊本にご縁を得ている立場から、発信を続けていきたいと思う。
(ニュースレター51号/2016年7月)