1945年8月15日の終戦から70年。今秋、戦争法案が成立した。微力ながら反対運動に関わった身として残念でならないが、これからが大切だと諦めない気持ちでいる。
2004年と2015年に私は「女たちの戦争協力」について論文を書いた。図書館の古い蔵書が保管される倉庫やアジア図書館にもこもり、そこで過去の記録を探し求め、長い時間を過ごした。自分の無知に泣けて仕方がなかった体験だ。
私は過去の戦争で女性たちが心ならずも戦争協力をさせられ、抵抗する術もなく、泣く泣く従わざるを得なかったものと思い込んでいた。ところが当時、実は嬉々として多くの女性たちが兵士の湯茶の接待に馳せ参じていたことをさまざまな記録から知る。
軍に何の繋がりも持たない市井の女たちが1932年3月に大阪で結成したのが「国防婦人会」だ。わずか1、2年で全国的な活動へと広がり、銃後の女の象徴として活動を展開した。白いエプロンにたすきがけで兵士の見送りする活動をお膳立てした軍や商人たちがいた。女たちはその中に刺激や生きがいすら見い出し、懸命に「善意で」戦争協力をしていた。女性有識者たちが率先して市井の女たちに戦争協力をするよう導いたことも、さまざまな文献に詳しい。これらを丁寧に追い続けている女性研究者たちに敬意を表したい。
彼女らの行動を「過去のことだ」とは言えないと感じる。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目」(ヴァイツゼッカー)だろう。
戦争には一歩たりとも近づいてはならない。国際貢献が武力のみに論じられるのは違う。民主主義の基本は対話だ。武力で問題が解決することなどない。それは戦いの前哨戦になりこそすれ抑止力になどなりえない。
若者や母親たちの行動にも勇気づけられる。「就職に支障をきたす」といった脅しめいた批判にも「そんな会社には入らない」とぶれない軸足に尊敬の思いが湧く。
TBS、ABC系の報道、毎日新聞、朝日新聞、東京新聞が権力のチェック機関としての報道の役割を果たしていること、複数の女性週刊誌が長く反戦の特集を継続的に組み続けていることにも希望を感じる。朝日新聞「声」欄に、元予科練の京都の86歳男性が投書を寄せた。「若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」
私自身はこれからも、署名やFacebookの情報発信、拡散をするほか、デモにも参加し続けたい。平和を願いより良い動きを起こそうとする方たちと繋がり、細々とでも戦争の足音に抵抗し続けたいと思う。
文献
津村薫「銃後の女性の戦争協力を問い直す-国防婦人会の活動から-」(2004)
津村薫「戦争に抵抗し続けること-女たちの戦争協力とその振り返りから考える-」(2015)
いずれも『女性ライフサイクル研究』
所収、女性ライフサイクル研究所編
日刊ゲンダイ「若者の怒りと主婦の蜂起やまず・・・安倍政権に「鉄槌」が下る日」(2015.7.22)
(ニュースレター49号/2015年11月)